2013年7月6日土曜日

脳が創り出す実体験。 ~2冊の本を読んで~



今週、2冊の本を並行して読みました。
1冊目は、木村秋則氏の「すべては宇宙の采配」と、
2冊目は、V・S・ラマチャンドラン氏の「脳のなかの幽霊」。  

木村氏は、不可能と言われた無農薬、無肥料でのりんご栽培を実現した方で、
その実現に至るまでの体験を綴ったのがこの本「すべては宇宙の采配」になります。

V・S・ラマチャンドラン氏は、カリフォルニア大学サンディエゴ校の
脳認知センター教授、所長、同大学心理学部神経科学科教授。
視覚や幻肢の研究で知られ、興味深い症例を紹介しながら
脳科学の可能性に迫っていくのがこの本「脳のなかの幽霊」です。

木村氏の本では、彼のりんご栽培成功までの凄まじい体験と共に、
UFOや超常現象の体験にもかなりのページを割いています。
「すべては宇宙の采配」のなかで、彼の主観で語られる体験は、
真実であることに疑いはありません。しかし、「脳のなかの幽霊」を読むと、
脳がどのように超常的な体験を創り出すかが見えてきます。

ラマチャンドラン氏は、幻肢という事故などで失った、
実際には存在しない手足の感覚や痛みに悩まされる症状や、
脳に出来た動脈瘤によって本物よりも本物らしい幻覚を
毎日見るようになった患者、そして、宗教的な恍惚状態や、
神が直接語りかけてきたと主張する側頭葉てんかん患者の症例から、
科学と哲学の最大の難関である、自己の本質に近づいて
いくことができるのではないかと指摘しています。

面白いのが次の文で、
「視覚は単に脳内のスクリーンに像を送っているのではなく、
眼球のなかでゆらめく断片的なはかない像をもとにして、経験から
わりだした推測をするという、驚異的な能力をもっている。
その具体的なあらわれの1つに、
視覚像のなかにある不可解なギャップに対処する、驚異的な能力がある。
たとえば柵の向こうにいるウサギは、ウサギの断片の連続ではなく、
柵の縦杭の後ろにいる1羽のウサギに見える。
つまり、心がウサギの欠けている部分を補ったのである。」

この様に、視覚とは、単に見たものを映しているだけではなく、
脳がかなりのイメージを創りだしているようなのです。

そう考えると、UFOや超常現象体験なども脳が創りだしたイメージに他ならないと
言えなくもないでしょう。

ただ、現代科学で説明できないことはもちろん存在するでしょう。
しかし、私達は科学の全てを知っているでしょうか?
最先端の脳科学等はかなり進んでいるようですし、少し前に説明できなかったことが
今は当然のことになっているかもしれません。

最後に、木村秋則氏の「すべては宇宙の采配」でUFOの体験等が語られていますが、
この本で重要なことは、その体験が本物か幻覚かではありません。
極端な話、体験の真偽はどちらでもよいのです。この本で本当に大切なことは、
木村秋則氏が信念を持って自然の声に耳を傾けて突き進んできた体験を通して
語っている、物事の本質を理解するということなのではないかと思います。

木村秋則氏は本書のなかで、こう言っています。

『思いや、気持ちの持ちようで、
 いくらでも物事を変化させられる。』

2013年7月3日水曜日

格安オリジナル名刺


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 『 前川企画印刷 』

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私も早速注文してみようと思います。

2013年6月22日土曜日

ヨーガと仏教 ~ 慈悲喜捨の心 ~

先日、鎌倉にあるお寺の坐禅会に参加しました。

雨の建長寺は、綺麗なアジサイが
迎えてくれました。
 ※建長寺http://www.kenchoji.com/ 
  (建長寺坐禅会毎週金・土曜日
             夕方5時から6時
  
その時、意外にも若い参加者が多い
という印象を受けました。
ライフスタイルの欧米化を
疑問を持たずに進んできた日本ですが、
今のこの世の中になって伝統文化や神道、
そして仏教を再確認すべきだと
多くの人々が感じているのでしょうか。


ところで、
ヨーガは仏教と多くの共通点があることを
ご存知でしょうか?

歴史的に見るとヨーガは、その発祥が
紀元前26001800年頃に
栄えたとされるインダス文明にまで遡る
とされています。有名なヨーガの教典
パタンジャリ・ヨーガ・スートラは、
紀元前3世紀頃に書かれたと
言われています。
そして、仏教は紀元前500年頃に興り、
当時は新興宗教として異端でした。

仏教は、当時のバラモン教の祭儀主義を
否認しましたが、バラモンによってすでに
定められていた諸々の規範を自分たちの
禁欲的な勤行や生活様式のうちに受け入れています。

ヨーガは当時のバラモン教やその後のヒンドゥー教文化と深く結びついていましたから、仏教とヨーガはお互いの良い部分を取り込んで発展してきたと考えられます。

今日は、ヨーガの経典パタンジャリ・ヨーガ・スートラに出てくる一節と、
仏教経典によく出てくるキーワードとの共通点を見てみたいと思います。



 ― 慈悲喜捨という概念 ―

ヨーガ・スートラの1章33にこうあります。

 MAITRĪ KARUNĀ MUDITOPEKSHĀNĀM SUKHA DUHKHA PUNYĀPUNYĀ
 VISHAYĀNAM BHĀVANĀTAŚ CHITTA PRASĀDANAM.

 他の幸福を喜び(慈)、不幸を憐れみ(悲)、他の有徳を欣び(喜)、
 不徳を捨てる(捨)態度を培うことによって、心は乱れなき静澄を保つ。
                            
        ※スワミ・サッチダーナンダ著 「インテグラル・ヨーガ」 より引用


ヨーガ・スートラはサンスクリット語で書かれています。
上記はサンスクリット語をラテン文字で音写したものです。

サンスクリット語で、
「慈」MAITRĪ(マイトリー)
「悲」KARUNĀ(カルナー)
「喜」MUDITĀ(ムディター)
「捨」UPEKSHA(ウペークシャ)

仏教では、四無量心または四梵住という言葉によって表現されます。
生きとし生けるもの全てを対象とする心の働きということで、
無量という言葉が入ります。
仏教では、多くの経典によって四無量心が説かれていて、
非常に重要なことだとされています。

初期仏教の経典はパーリ語で書かれています。
パーリ語とは、当時ゴータマ・ブッダが暮らしていた地域に
広く使用されていた方言で、バラモン階級が使うサンスクリット語と違い、
広く民衆が使用した言葉でした。

パーリ語で、
「慈」METTĀ(メッタ-)
「悲」KARUNĀ(カルナー)
「喜」MUDITĀ(ムディター)
「捨」UPEKKHĀ(ウペッカー)

後期の仏教経典ではサンスクリット語のものも多く、仏教では時代によって
どちらの言語でも説かれてきたといえるでしょう。

このヨーガでも仏教でも説かれている四つの言葉の意味は、

    「慈」 マイトリー/メッタ―
慈とは、いつくしみの心です。生きとし生けるものに対して、
慈しみの心を持つということです。他人の幸福に友愛の念を持つということ。

    「悲」 カルナー
悲とは、悲しみではなく、人を苦しみから解放してあげる事を目的として
行動することです。生きとし生けるもの苦しみに対し、
その痛みを取り去ってあげたいと願う、同情する心です。

    「喜」 ムディター
喜とは、喜ぶ心です。他人の幸せを自分のことのように
心から喜べる心をいいます。
生きとし生けるものの幸せを心から支持する心です。

    「捨」 ウペークシャ/ウペッカー
捨とは、無関心・中立・平静であるという意味があります。
つまり、自分勝手な判断を捨てて、あるがままの姿を観ることを意味します。
捨の心は、生きとし生けるものを平等な存在として観る心です。


これらの四つの心は、西洋では「愛」という概念で表されているものだと思います。
ヨーガと仏教が紀元前数世紀から、現在では愛という言葉でまとめられた
慈悲喜捨という心の状態を、非常に重要なものとして受け継いできたことは、
これが宗教や洋の東西そして文化を問わず、
不変的な道徳律であるからなのでしょう。

ヨーガを学ぶことは、心の真理に触れていくことでもあると思います。
それは、私達が昔から馴染みある仏教でも既に説かれている場合が多いのです。
若い方たちが、仏教に親しむことでヨーガの理解を深め、
心の真理に近づいていけるのなら、
彼ら自身はもちろん、その次の世代の人たちにとっても、とても喜ばしいことでしょう。

建長寺の龍王殿入り口に置かれていた仏教情報誌のタイトルが、
まさに慈悲喜捨の「喜」ムディターでした。

2013年3月12日火曜日

花粉の季節 ヨーガのテクニックで花粉症対策

毎年この時期、厳しい冬の寒さから抜けて温かい春へ移行する喜ばしい季節のはずなのに、
花粉症の皆様はそう素直に喜べる季節でもないようです。

ハタ・ヨーガには、クリヤーと呼ばれる身体浄化技法があり、
その中にジャラ・ネーティという鼻洗浄の技法が存在します。
鼻の汚れを除去し、風邪の時の鼻粘膜の炎症改善等に効果があることが知られていますが、
花粉症の予防、症状軽減にも効果があるようです。

今回はジャラ・ネーティについて紹介していきます。


~ ジャラ・ネーティ ~



 ジャラ・ネーティとは、ハタ・ヨーガでクリヤーと呼ばれる身体浄化技法の中の1つです。
 クリヤーは次の6部門に分類されます。
  1. ダウティ     :消化器系上部
  2. バスティ     :消化器系下部
  3. ネーティ     :鼻腔
  4. トラータカ    :眼
  5. ナウリ      :腹部全体
  6. カパーラバティ :呼吸器系
 ジャラ・ネーティは3番目に入りますね。

 それでは、クリヤーの目的とは何でしょうか。
 目的は大きく分けて2つあります。
 1つ目は、身体の内部組織の反射反応のバランスを整えること。
 2つ目は、生理的バランスを維持すること、また免疫機能を正常に保つということです。


 次にジャラ・ネーティの効果ですが、
  • 鼻の汚れ(花粉や細菌)を除去。
  • 過度な鼻水の排泄。
  • 風邪の時の鼻粘膜の炎症改善。
  • 鼻の感覚器官を活性化。
  • 視力の改善。
 等になります。視力の改善というのが興味深いですね。


 それでは、これから実際のやり方について紹介していきます。

 準備する物は、ネティポット、塩(出来れば天然)、温水、タオル、
 そしてグラスにティースプーン1杯程の塩を入れ、ぬるま湯で溶いて用意します。

図1.ネティポット


 用意が出来たら、次の要領でジャラ・ネーティを行います。
  1. 用意した塩水をネティポットに注ぎます。
  2. 少し前のめりで洗面所の前などに立ちます。
  3. ネティポットを一方の鼻の穴に差し込みます。そして、差し込んだのと反対側に身体を少しゆっくりと傾け、水が鼻から重力によって出てくるまで保持します。
  4. 口は常に半開きの状態で、ゆっくり口で呼吸します。
  5. 水は上鼻道から下鼻道を通って出てきます。
  6. 頭を僅かに前のめりにすると、水は口にいきません。
  7. ポットの半分くらいの塩ぬるま湯を使ったら、まっすぐに立って、カパーラバティの要領で3~5回程両鼻から息を吹き、塩ぬるま湯と鼻水を排出します。次に親指で軽く上になっていた方の鼻を塞ぎ、片方の鼻のみで同様に息を吹き出します。
  8. 反対側も同様に行います。
  9. 最後に、鼻の奥の温水を出しきるために、10~15秒程パーダ・ハスタ・アーサナ(図2)を保持してから起き上がります。2回程繰り返して下さい。時間があれば、しばらくマカラ・アーサナ(図3)で休んでおくと自然と温水が鼻から出てきます。
図2.パーダ・ハスタ・アーサナ


図3.マカラ・アーサナ
以上が実際のテクニックになります。

 ジャラ・ネーティは、早朝(出来れば日の出前)に行うのが効果的とされています。
 しかし一般的な社会人で早朝が難しいという方は、帰宅後の夕食前が良いでしょう。
 要は身体がなるべく空腹で何も入っていない状態が好ましいということです。

 また、就寝前に行った場合、副鼻腔内に残った水分によって
 中耳炎などのトラブルを引き起こす危険があるので控えた方が良いでしょう。


 蓄膿症や中耳炎を患っている方や後鼻漏がある方は、医師のアドバイスに従って下さい。
 下記リンクに医師からの注意点があります。参考にして自己責任で行なって下さい。
 

2013年1月11日金曜日

アジア、男女格差の現状

先月デリーの事件以来、アジアでの女性差別の記事を頻繁に目にするようになった。
このAFPの記事もそうだ。

"「魔女狩り」被害に遭う下層民の女性たち、ネパール"

南アジアでは「魔女狩り」の事件を度々ニュースで見ることがある。
インドのビハール州等では、いまだに「魔女狩り」が行われていると聞く。
この記事にもあるが、インド、ネパールではいまだにカースト制の影響が濃く、
さらに父権社会であることから、ことさら下層民の女性の地位は極めて低い。
ほとんど人間扱いされていない場合も多いようだ。

それでは世界の中で、アジア女性の地位はどうなのだろう?

世界経済フォーラムによる2012年世界男女格差報告を見ると、
日本の男女格差指数は135ヵ国中101位。先進国で最低水準だ。
先月の大統領選挙で初めて女性候補(朴槿恵)が当選した韓国でさえ108位。
韓国の状況に関しては、CNNの次のような記事もある。

”韓国で女性大統領誕生、しかし男性優位の状況は変わらず?”

不思議だが、インドは105位で韓国より上位だ。
これには人口や男女の人口比による要因もあるだろう。

インドよりカースト制による階層が根強いといわれるネパールは123位である。

ちなみに、中国は69位、タイは65位、アジアで一番上位はフィリピンで8位だ。
上位3ヶ国は上から、アイスランド、フィンランド、ノルウェー。


当然、男女の権利や機会は平等であるべきだと思う。
ただ忘れないでおきたいことは、男性と女性は同じではないということ。
男性と女性では体の構造はもちろん異なるし、思考パターンにも違いがあるだろう。
いくつもの事を並行してこなせる女性が多いのに対し、
多くの男性はそういったことは苦手で、代わりに一つの事に集中するのが得意だったりする。

大切なことは、男性と女性がお互いを違うのだという認識を持った上で、
お互いを思いやるということなのではないだろうか。

男性でも女性でも、カーストの違うものどうしであっても、
お互いが慈愛ある心で接して欲しいと願う。

2013年1月6日日曜日

インドの女性地位向上は実現できるのか?

インドのニューデリーで前月16日、23歳の女性がバスの車中で暴行され死亡した事件が
インド国内はもとより世界中でニュースとなっている。

”AFPBBニュース「インド女性暴行死事件、恋人男性が絶望を語る」”

この事件に対してインド全土で抗議デモが続いている。

私は2009年に2ヶ月程ニューデリーに滞在した経験がある。
ディフェンス・コロニーという地区にある知人の家に居候して、
カイラッシュ・コロニーという地区にあるヨーガ・センターに通っていた。
センターまでの往来はバスを使った。日本円にしたらオートリキシャー(三輪タクシー)でも
十分安かったが、バスは別格で安い。
当時はセンター近くまでバスで片道7ルピーだった。日本円で11円程。激安だ。
バスは日本では考えられないぐらいくたびれている。まさにボロボロだ。
バスに乗るのは本当に所得の低い層の人達だ。
ある日帰りにバスを降りる時に後ろから肩を叩かれた。ふと振り返ると
居候させてもらっている知人宅のお手伝いさんだった。そういう人達の移動手段なのだ。

私が通っていた時も柄の悪い連中が乗っていた時があった。
私の移動距離は20分程だったので身の危険を感じたことは無かったが、
そういう悪い連中が起こした今回の事件は許し難く、残念でならない。
ニュース記事を読んでいると気分が悪くなる程酷い事件だ。

インドでは基本的に男系社会であり、女性の地位が低い。
加えて男女の人口比が110.6:100と男性の人口が多いことが
結婚にあぶれた男性を増やし、レイプ犯罪増加に繋がっているとの見方もある。

インドでは伝統的文化的な背景から男児が好まれる傾向にあり、
女児が生まれると間引かれることも今だに地方では行われている。
このことも女児の死亡率を上げ男性人口の増加の要因となっている。

今回の事件で、インド全土で女性の地位の向上を求めて抗議デモが行われているが、
一般の人々の間にも今だにカーストのような階層が残っているのに
女性の地位向上を求めて意味があるのだろうか?その前にやらなければならないことが
山ほどあるのではないか?と思ってしまう。

しかし、インドは広大であり、その疑問も吹き飛んでしまうような活動が存在した。
女性の地位向上に貢献し、成果を上げている素晴らしい人達がいる。
時間がある方は是非この記事を読んで頂きたい。

Wired.jp ”最貧国の闇を照らす、女性のための「ベアフット・カレッジ」”

インドでは、今回のような酷い事件ばかり起きているわけではない。
女性の地位向上や人々の幸福を願って努力している素晴らしい方々が沢山いるのだ。

多くの覚者を輩出している雄大な国インド。
全ての人々が平等な機会を与えられる国つくりを願う。

全ての人々が幸福でありますように・・・

2012年11月18日日曜日

イスラエル・パレスチナ問題。

イスラエルが、またガザ地区への大規模攻撃を始めた。

ユダヤ人はナチスドイツ時代激しい迫害にあい、虐殺された過去があるにもかかわらず、
ヨルダン川西岸地区やガザ地区を壁で隔離し、パレスチナ人達を迫害し、虐殺している。

しかし、イスラエルにいる全てのユダヤ人が酷い事をしているわけではない。

2008年12月、私がイスラエルを訪れた時にエルサレムでユダヤ人家族の家に泊めてもらったことがある。
3人家族で、父親は医師、母親は大学のアラビア語教授、娘は医学生だった。
母親はアラビア語教授であるためアラブの文化に興味があり、私がシリアに行ってきたと言うと、
事細かにシリアの状況や人々はどんなか?ウマイヤドモスクは美しかったか?等と熱心に尋ねてきた。
彼らはシリアや入植地以外のヨルダン川西岸地区には行けないため状況が気になるようだった。
娘さんはテルアビブでの自爆テロを間近で目撃したこともあり、
「私達が向こう側へ行ったら何をされるかわからない」と、
パレスチナ自治区への言い知れぬ恐怖を感じているように見えた。

家族は私がユダヤ教のハヌカという御祭りの初日に訪れたにもかかわらず、
優しく祭りの儀式や意味を教えてくれた。
そして、スフガニヤートというお祭りの時期にだけ食べるジャム入りドーナツを美味しく戴いたことを憶えている。
そしてとても安心した気分になった。

というのも、この優しい家族にお世話になる前に、私はヘブロンというヨルダン川西岸地区の都市で、
ユダヤ人とパレスチナ人の激しい対立の状況を目の当りにしたからだった。

ヘブロンとは、ヨルダン川西岸地区にありユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地であり、
三教の祖イブラーヒームの墓がある。今そこにはシナゴーグとモスクが建っている。
詳しい歴史はWikipediaのヘブロンでチェックされたし。

まず驚いたのは、町の入口近くから続いている細長い通りの市場で、
ふと上を見上げると金網が張ってある。
これはなんだろうと近くの店で聞いてみると、市場の右側は入植地があり上からユダヤ人が
ブロックを落とすからその防止用なのだと言う。
もう一度上を見上げると、確かにレンガやブロックがいくつか金網に引っかかっている。
建物の屋上には銃を持った兵士が巡回していた。

さらに進むと、ほとんどシャッターが閉まった市場にでた。
閉まったシャッター全てにダビデの星がスプレーで落書きされている。
「ここはユダヤの土地だ」と主張しているのだろう。
その周りで小学生ぐらいの子供達がサッカーをしながら遊んでいたが、
そこにイスラエルの兵士が巡回に来るとクモの子を散らすように逃げていった。
巡回の兵士達はフル装備の戦闘隊形でいつでも撃てる状態であり、
それだけ緊迫した状況の場所なのだ。

さらに進み、イブラーヒームの墓があるマクペラの洞窟に建つモスクの前まで来た。
モスクに入る前に検問がある。検問所前で初老のパレスチナ人男性が必死に何かを
イスラエル兵士に訴えているが、若い女性と男性の兵士はヘラヘラと笑っているだけだ。
検問で待たされている間にそれを見ていたら、とても嫌な気分になった。

モスクを見学させてもらった後、さらに先に進み、広い丘の上に入植地が見える場所に出た。
丘の上の入植地の前には高いバリケードが何重にも張られ、その奥に豪華な家々が並んでいる。
バリケードの手前のパレスチナ人の区域では、レンガで出来た古びた建物がポツンポツンと建っている。

ふと遠くにパレスチナ人の子供達が見える。小中学生ぐらいだろうか。
そう思っていると、目の前に石がコロコロと落ちてきた。
なんだろうと思ったら子供達が投げた石だった。子供達はだんだんと大きな石を投げてくる。
最後には頭の半分ぐらいあるブロックの破片が目の前にドスンと落ちてきた。
一緒にいた友人が近くにたまたまいた中年のパレスチナ人に、
私達は旅行者でユダヤ人では無いと訴えて、彼から子供達に説明してもらってようやくおさまった。
あんなに小さな子供の頃から憎しみを感じながら生活していることに哀れみを感じた。

そして、ヘブロンで10代のパレスチナ人の少年がイスラエル兵士に投石をした直後に射殺されたのは、
私がヘブロンを出た次の日だった。


そんなヘブロンの状況を見た後に、エルサレムでのユダヤ人家族のもてなしがあった。
だから、憎しみだけではない一般の人々の生活を感じてとても安心した気持ちになったのだ。

その後、2008年末から現在行われているようにイスラエル軍によるガザ空爆があり、
ヘブロンやエルサレムでパレスチナ人による暴動が始まった。
危険を感じた私はエジプトへ移動した。
年が明けた2009年1月3日からイスラエル軍がガザに地上侵攻を開始し、
最終的な死者はイスラエル側で13人、パレスチナ側で1300人に上った。


イスラエルの状況は複雑であり、宗教間の対立であると簡単に片付けられる問題ではない。

今のガザや西岸地区の状況はイスラエルに非があるかも知れないが、
この地域にはユダヤ人とパレスチナ人がお互いに攻撃し合ってきた長い憎しみの歴史がある。
御互いが被害者であり、加害者であるのだ。


感じたのは、ユダヤ人とパレスチナ人の交流が極端に少なく、
御互いがネガティブな情報から憎しみの連鎖が続いているようだった。

私はただ双方の人々の心が平安になることを願うばかりである。



※ イスラエル・パレスチナ問題を考える上で参考になる映画を紹介しておきます。

JENIN JENIN
   2002年に起きた「ジェニンの虐殺」を実写、目撃証言などで構成されたドキュメンタリー。

The Heart of Jenin
   イスラエル軍に射殺されたパレスチナ人少年の父親が、
   イスラエルの子供たちへの臓器提供を決意するヒューマン・ドキュメンタリー。

Paradise Now
   自爆テロに向かう二人のパレスチナ人青年を中心に
   パレスチナ人からみたパレスチナ問題を描く。

Waltz with Bashir
   レバノン内戦に関する記憶を探るフォルマン監督自身を描いた
   イスラエルの長編アニメーション。