2014年12月21日日曜日

Thailand's tainted robes ~タイの汚れた衣~


『タイで頻発する僧侶のスキャンダル、

はたしてタイはその厚い道徳心を護ることができるのか』


12月19日、カタールの放送局アル・ジャジーラから、「101 East」というアジアでの取材を
放送する番組で『Thailand's tainted robes』(タイの汚れた衣)と題した特集がありました。

今回は、国の発展と共に揺れるタイの仏教文化を
アル・ジャジーラ放送の報道を基に考えてみたいと思います。

特集番組は、25分の映像で上のリンクからYou tube(英語)でご覧になれます。


プライベートジェット僧侶 「Nehn Kham」




タイでは不正を働く僧侶のスキャンダルが相次いで明るみになり、国を揺るがせています。
その不正ぶりを世界の人々の目に触れさせるきっかけになったのが、Nehn Kham です。

プライベートジェットでブランド物のサングラスやルイ・ヴィトンのバッグ、
そしてスマートフォンなどを身につけた姿の僧侶に多くの人がショックを受けました。
日本のTVでも紹介された様なのでご存じの方も多いと思います。

この映像でメインで写っている僧侶がNehn Kham さん。
彼はかつてタイの北東部の貧しい地域で説法し、非常に人気のある僧侶でした。
しかし、今は詐欺行為を通して貯めた3200万ドル(約38億円)と共に逃亡中です。

この僧侶以外にも、タイではお互いに殴り合う僧侶達や、ドラッグの密輸、銃の密売、
闇ポルノに手を染める者などのスキャンダルが続いているそうです。

タイ国軍事政権の反応


軍事政権はこのことを深刻に受け止め、
不正を働いた僧侶を通報できる24時間ホットラインを設けました。
そしてさらに、軍政は仏教徒のルールを破れば犯罪とみなすという新しい法案も
検討しているそうです。

これはさすがに過剰反応だし、信仰の自由を脅かすものだという声もあります。
私もそう思います。

タイの人々の思い


この番組で取材をしたアル・ジャジーラ特派員のPailin Wedel (タイ人) さんは、
彼女のブログでお祖父さんについて次の様に語っています。

『 祖父の母親は家庭の複雑な事情から、彼をタイ南部の寺に預けざるを得ませんでした。
その時彼は3歳でした。
 
お寺の長は彼の実のおじでした。おじはその敬虔な態度と豊富な薬草の知識から、
とても尊敬された僧侶でした。

祖父が12歳の頃、僧侶になるように言われ、以来25歳までその寺で過ごしました。

仏教は祖父の道徳の柱であり、智慧の源泉でした。そして寺は彼の帰るべき家でした。

これらの経験が祖父という人を形造ったのです。

祖父が学んだ教訓は、世代を超えて私の母、そして私に受け継がれました。


私は業(カルマ)を現実的な科学として教わりました。
全ての行為は結果(反応)をもたらすと。

また、私は物質的な物への執着は苦をもたらすと学びました。

祖父は亡くなる日の直前まで、その価値観で生活していました。


急速に発展する現代のタイにおいて、仏教徒の葬式は地位や富を表すようになりました。

しかし、葬式で花輪や現金の贈物は全て無しにしてくれというのが、祖父の意志でした。 



Pailin Wedel さんは、人生の規範として貴重な教えを祖父から受け継いだのでしょう。
これこそが、タイ仏教の僧侶としてあるべき姿ではないかと思います。

Pailin さんは現状についても言及しています。



『 私の祖父は、加工されていないシンプルな仏教を尊んでいました。
しかし、今日のタイで見られるポピュラーな仏教はそうではありません。

最も良く知られている現代のタイ僧侶は、寄付金を掻き集める有名人達です。

彼らはテレビやツイッターで取り巻きを育て付き従わせ、そして豪邸に住んでいます。

特に悪どい寺では、宝くじの当選番号を予言する儀式で信者を誘い込んでいます。 』


私は同じような話を最近ミャンマーでも聞いたことがありました。
同じように急速に発展中の仏教国ミャンマーも例外ではないのかもしれません。
非常に心配になります。

政府や国民の対応


タイ軍政は、仏教の戒律を破った僧侶を処罰する法案を提案していますが、
あまり良い案とは言えないと思います。

タイは人口の90%以上が仏教徒ですが、仏教徒以外の人々も大勢暮らしています。
この法案は、仏教徒以外の人々に仏教のルールを強制的に押し付けるものです。
どの宗教を信仰していようとも、信仰の自由は守られるべきであると思います。


国民はどう対応していくべきなのでしょうか。

アル・ジャジーラの番組終り近くで僧侶が、
僧侶も普通の一般人となんら変わらないと言う事を語っていました。

たしかにその通りで、一定の戒律は守っていても普通の人間であって
特別な存在ではないのかもしれません。


お釈迦様として知られるゴータマ・シッダールタは、
人々が仏・法・僧に帰依することを唱える際に、
決してゴータマ・シッダールタに帰依するとは言ってはならない、
ブッダ(悟った人)に帰依をすると言いなさい。
と言ったそうです。

この意味は、特定の人物に帰依をするのではないということです。
つまり、ブッダ(悟った人)というロールモデルに帰依し、
そのような規範に近づくように努力しなさい、という教えだったそうです。

特定の人物に帰依をして、その人物だけを崇めたりすれば、
人々は盲目的になり、その人物次第で戒律も歪められたりする。
そういう危険があることをゴータマ・シッダールタは解かっていたのでしょう。


タイの急速な経済発展は、仏教の本来の教えを見えなくさせているように思います。

今一度、冷静に仏教の原点を見直す時に来ているのかもしれません。

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