2013年12月23日月曜日

ジプシー ~流浪の民~

2ヶ月程前にヨーロッパでのジプシーに関する事件を幾つかニュースで見かけました。
海外の報道機関の記事で、日本ではほとんど記事にならなかったように思います。
それだけ日本人にとって、ジプシーは遠い世界の存在なのかもしれません。

海外の映画やドラマ等では、ジプシーは一般の社会集団から外れて自由奔放に生きてゆく
人々であったり、得体の知れない不気味な集団として描かれたり、窃盗や詐欺集団として
描かれたりと、あまりプラスのイメージで描かれることはないと思います。

しかし、その社会規範から逸脱して生きる自由奔放な姿が
現代社会でいろんなものに縛られて生きている人々が憧れる要因なのかもしれませんね。

さて今回は、自由奔放に生きるジプシーとはどういう人々なのか、
彼らのルーツは何処にあるのかを探っていきたいと思います。


ジプシーとは何か?


サント・マリー・ド・ラ・メール(フランス)

ジプシーとは何でしょうか?

それはさすらいの人々、流浪の民です。
ジプシーというのは本来英語で、エジプト人、エジプシャンが変化してできたものだそうです。
ドイツ語ではチゴイネル、フランス語ではボエミアンといわれます。
ここでは紹介しませんが、ヨーロッパの国毎にいろんな呼名があるようです。

彼らは自分たちのことを、ロム、ロマ(複数)と呼びます。
これは人間という意味だそうです。
そして彼らはジプシー以外の一般ヨーロッパ人を多少軽蔑を込めて、ガージョと呼びます。

1971年4月8日、世界各地のロマ(ジプシー)がロンドンに集まり、第1回「ロマ国際会議」
 を開催しました。その会議で人々はそれまで使われてきた「ジプシー」「ツィゴイナー」等の
 人種差別的な呼称の全てを否定し、「今日から我々はロマである」と宣言しました。


ジプシーの外見


日本人がヨーロッパを旅行しているときに、ジプシーに出会っても、
必ずしも簡単には分からないでしょう。

彼らは何百年ものあいだ、一方では歌い踊りながら、また手相占いをしながら、
他方では行商や日雇いなどをしながら、世界各地を放浪してきました。

そういうことから、旅先の人種との混血が行われてヨーロッパの人々に似てきています。
それにジプシーといっても、住んでいる国や土地によって、それぞれ違った特徴を持っています。

ピタールという人類学者の興味深い叙述があります。

『やや日焼けした色、漆黒の髪、まっすぐな形の良い鼻、白い歯、生き生きしているが、ものうげなまなざしの切れ長の褐色の目、全体にしなやかな物腰、調和のとれた身のこなし。これらのことを考えると、ジプシーは身体の点では、ヨーロッパ人の多くのものより優れていることがわかる。かれらはあらゆる肉体の試練に耐えうるほどの、強い健康をもっているようだ。生まれつき弱い子供は早く死んで、強いものだけが残ったということも、このことに大きく影響しているであろう。』

悪名高いジプシー


ジプシーは暮らしをたてるために、駅や盛り場などで、あつかましい物乞いやねだりをして、
一般人や観光客に目に入りやすく、西ヨーロッパなどではひんしゅくを買う人々になっています。

それゆえに、とりわけ西ヨーロッパ諸国では差別と迫害の対象となっている事実があります。

【AFPBB News 2010年10月10日】仏政府、ロマ人送還問題で是正を約束

ジプシーの音楽


ジプシーにとって音楽は、しばし踊りとからみあって、彼らの生活の一部をなしています。
というより、彼らの生活そのものであると言ってよいでしょう。
彼らはもともと音楽好きで、音楽が得意なのです。

ジプシーの音楽を聞いていると、自分の不幸と不満とが消え去り、他人への憎しみを溶かすと
人はいいます。彼らの音楽が聴く人の心を打つのは、彼らの生活感情そのものが、そのまま
彼らの音楽になっているという説があります。

ジプシーは昔はほとんど学校教育をうけなかったから、音楽の勉強もとくにしたわけではなく、
楽譜が読めるわけでもない。それなのに音楽がよく出来たそうです。
彼らの血がそうさせるのでしょうか。

ロマ音楽はヨーロッパ全土に大きな影響を与えました。
特にハンガリーではその影響は顕著で、19世紀のハンガリー生まれの音楽家フランツ・リスト
は、ジプシー音楽を基調として、「ハンガリー狂詩曲」を作曲したそうです。
この有名な曲がジプシー由来とは驚きでした。
私達も知らずのうちに、ロマ音楽を聴いていたのですね。

コルドバ(スペイン)
そして彼らは音楽と共に踊りにも長けていました。
彼らの情熱的な踊りとスペイン芸能の融合が
フラメンコです。

フラメンコは、スペイン南部のアンダルシア地方の
ジプシー芸能を土台として、これに土地のスペイン人の
芸能がまじり合って、19世紀半ばに生まれたもの
だそうです。
ジプシーの歌と踊りが基本にあります。


ロマ(ジプシー)の起源


さて、世界中を流浪し、
各国の文化に影響を与えてきたジプシーですが、
彼らの故郷は何処なのでしょうか?
彼らはどこからやってきたのでしょうか?

主な国でジプシーがいないのは、日本と中国ぐらいだと言われています。
現在ジプシー人口が多いのはヨーロッパ、とくに南東ヨーロッパ諸国だそうです。

彼らがヨーロッパ各地に姿をあらわすのは、だいたい14世紀から15世紀にかけての
ことであることが当時の文献からわかっています。

それ以前は何処にいたのか?

大体18世紀頃までは、
ヨーロッパではジプシーがエジプトから来たという説が信じられていました。
エジプシャン、ジプシーの呼名の由来はここからきたようです。

その他にはユダヤ人であるという説や、
東洋人(西洋人の言う東洋という概念は広すぎて曖昧)だという説等がありました。

現在の通説は、インドから来たという説になっています。
これは言語の研究を通して成立した学説です。
ジプシーの話し言葉は、インド人の言葉とかなり一致しているそうです。

ジプシーはインド西部のラジャスタン地方から西に向かって移動したとされています。

なぜ、そしていつインドを出たのか?


ジプシーがインドを出たのは、いつ頃だったのでしょうか?
6世紀頃~16世紀頃まで各種の説がありますが、
この時代に起きたイスラム教徒の侵入による混乱と迫害を避けて
インドを捨てたのではないかと言われています。

しかし、原因は幾つもあると思われていて、ジプシーの起源は一様ではなく
長期間にわたり複数の集団が何度もインドを出発したとも考えられています。

悲しみの歴史


15世紀初めにジプシーがヨーロッパに出現して以来、迫害されていく彼らですが、
まっ先に弾圧を始めたのは、ドイツでした。

15世紀末、ドイツ地方を支配下に収めていた神聖ローマ帝国の国家議会は、
ジプシーを「キリスト教国家に対する裏切り者」として、追放することを決議しました。

ドイツでの弾圧から半世紀後、こんどはフランス政府がジプシーを「火と剣」とで
絶滅させる苛酷な法律を制定しました。

このような弾圧政策が、中部及び西部ヨーロッパ諸国で、その後長い間続いたのです。

ナチズムの犠牲


1935年9月15日、ナチス政権下のドイツである法律が公布されました。
「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」、通称ニュルンベルク法です。

この後に起きたアウシュヴィッツ強制収容所などにおけるユダヤ人虐殺の事実は、
日本でも一般的によく知られています。
しかし、虐殺の的になったのが、ユダヤ人と共にジプシーであったことは、
ほとんど知られていません。

第二次世界大戦前、全ヨーロッパのジプシー人口は、およそ100万~150万と
推定されていますが、その3分の1から2分の1に近い約40万が意識的、計画的に
殺されたといわれています。しかもそのほとんどが非戦闘員でした。

このことはジプシーがユダヤ人と違い、社会的そして政治的発言力をもたないこと、
それとジプシー以外の人々が積極的にこの問題を取り上げないことから、
表面に出てきにくいのです。

「黒いサラ」の巡礼


ヨーロッパ各地で常に差別と迫害にさらされてきたジプシーですが、
そんな彼らの心の拠り所となる巡礼地がフランスにあります。

南仏のサント・マリー・ド・ラ・メールです。

サント・マリー・ド・ラ・メール
5月と10月に、各国からおびただしい数のジプシーの列隊がここを目指して進みます。

伝えによると、ナザレのイエスが磔刑に処せられた後、マグダラのマリア、マリア・サロメ、
マリア・ヤコベが、他の人たちと一緒にエルサレムから小舟で逃れて
この地へと流れ着きました。マグダラのマリアと他の人たちは、南仏プロバンス地方の
内陸部で伝道を始めました。マリア・ヤコベとマリア・サロメはここに残って伝道をしました。
ここで二人は亡くなり、二人が建てた礼拝堂に葬られました。

その後、1448年にプロバンスのルネ王が、二人の聖女の遺骨を掘り出します。
そのとき二人の遺骨の他に、もう一人の遺骨が見つかりました。
それはサラというエジプト出身の忠実な召使であった女性のものでした。
二人の聖女の遺骨が祀られてから、ここは聖地となったといいます。

ジプシーたちが大勢でこの聖地に集まるようになったのは、
19世紀になってからだそうです。
彼らがここで拝むのは、二人の聖女ではなく、
色の黒い侍女サラであるのは興味深いですね。

サラは聖女ではないため、その立像も遺品も教会堂の地下室におかれています。

黒いサラ
黒いサラは、サラ・カリと呼ばれていますが、
カリ(kali)とはヒンディー語で黒色の意味です。

カリというと、
ヒンズー教のカーリーという女神が思い浮かびますね。
カーリーはインド全土で信仰されています。
カーリーとは「黒き者」という意味で、全身黒色の女神です。

恐らくインド出身のジプシーたちは、この黒いサラに
女神カーリーを見たのではないでしょうか。

女神カーリー












さて、ここまで粗い紹介でしたが、
ジプシーたちへの理解が少しでも深まっていくように願います。

他の国や他の民族のことをよく理解するためには、
できるだけ先入観の無いオープンな心でいることが大切だと思います。

相手を理解しようとする思いやり、慈愛の心が、
お互いの心の結び目を解いていくことになるのだと思います。


 参考文献: 「ジプシー 漂泊の魂」 相沢 久

2013年9月12日木曜日

ミャンマー ~微笑みと瞑想の国~



今、私には行きたい国が2つあります。
ミャンマーとブータンです。

ブータンについては、前回その特徴と共に紹介しました。
今回は、ミャンマーの特に仏教国としての側面についてご紹介します。

私達日本人が、近代化と共に忘れ去ってしまった精神文化を
ミャンマーでは垣間見える様な気がしてなりません。

まず、ミャンマーの内情を探る前に、
ミャンマー国内の宗教の多数派である上座部仏教について見ていきたいと思います。

東南アジアへの上座部仏教の流れ


上座部仏教とは、かつてインド仏教の保守派に属する上座部(テーラヴァーダ=長老部)
の伝統を継承して、パーリ語で書かれた三蔵を中心とする経典を信棒する点に
その特徴が見られます。

難しく説明してしまいましたが、
極々簡単に言いますと、お釈迦様の元々の教えを忠実に守ってきた人達ということでしょうか。
パーリ語とは、お釈迦様がいた時代のインドで使われていた方言で、
実際にお釈迦様もパーリ語で説法を行ったと言われています。
三蔵とは、律蔵・経蔵・論蔵から成る経典で、ちなみにあの西遊記に登場する玄奘三蔵は、
この三蔵に通じている僧侶であるので「三蔵法師」と呼ばれているのです。

話がそれましたが、その上座部の出家僧の生活はというと、

毎朝の托鉢による食事を午前中にとり、
午後は修行と勉学に専念して、パーリ聖典を学習し、あるいは瞑想を実践します。
全員が黄衣をまとって、厳しい寺院生活を過ごします。

日本だと禅寺の雲水(修行僧)の生活に近いのかもしれません。


上座部仏教は、主にスリランカ経由で東南アジア各地に伝えられ、
11~13世紀に現在のタイ、ラオス、カンボジア、ミャンマーで国家的に公認されました。

以下に、仏教成立から上座部と大乗に分裂するまでの流れを簡単な図にしました。
参考に御覧ください。

図.仏教の分派

ミャンマーの仏教


次にミャンマー国内における仏教の影響を見ていきましょう。


上の年表によれば、5世紀には既にミャンマーに仏教が入り込んでいたようです。
この頃は、まだビルマ族は姿を現していませんでした。
ビルマ族が登場するのは9世紀以降のことになります。

遺跡の調査から5世紀にはピュー族が築いた城市で上座部仏教・大乗仏教・ヒンドゥー教の
重層宗教が存在していたことが分かっています。

パガン王朝




11世紀半ばに、ビルマ族最初の統一王朝が形成されます。
それが、エイヤーワーディ川流域全体を支配下に入れたパガン王朝です。
初代アノーヤター王(在位1044~77)は、パガンで支配的であった密教的色彩の濃い仏教の
排斥を試み、上座部仏教を国教として定着させようと努力しました。

12世紀に入ると、パガン朝はスリランカのマハーヴィハーラ派の仏教を導入して
上座部仏教の改革にも取り組むようになります。

こうしてパガンには約250年の間に、王や有力者たちによって功徳行為の一環として
4000基を超えるパゴダ(仏塔)が競うように建立されました。

しかし、このことが直接上座部仏教の民衆レベルまでの浸透を意味したわけではなく、
その後15世紀末まで、一般の人々の間では大乗的・密教的な仏教が大きな影響力を
残したと考えられています。

過ぎた功徳行為による内部崩壊


パガン王朝は、1287年、元(蒙古)の皇帝フビライの軍勢に滅ぼされるのですが、
蒙古軍の攻撃以前から内部崩壊の兆しが見えていたようです。

原因はいき過ぎた功徳行為にあったと分析されています。

支配者層の中で上座部仏教化が進展し、彼らはパゴダ建立のほか、土地をこぞって
寺院に寄進し、そこで働く特殊な役割を担った寺院奴隷も多数献上しました。
こうした功徳行為はいき過ぎを見せるまでに至り、寺院領地の増大は非課税地の増大
としてパガン朝の財政を悪化させ、少ない人口にあって多くの寺院奴隷が寄進された
ことは労働力不足を招いて国力を弱めました。

仏教用語で「中道」という言葉があります。
本来の目的を失って極端な行為に走ってしまう事を仏陀は諌めました。
その仏陀の教えを忠実に守っていくべき人々が、いき過ぎた行為に走ってしまう様子は、
仏陀の教えの実践がいかに難しいことかを示していると思います。

フビライの軍勢を待つまでも無く、パガン朝は終わる運命だったのかもしれません。

瞑想の国ミャンマー




さて、ミャンマーの歴史を追っていくとな長くなってしまうので、
瞑想が盛んな国としてのミャンマーを見ていきましょう。

ミャンマーにおいて瞑想は従来、出家、なかでも人里離れた奥地に隠遁する森林の僧
によっておこなわれた修行の形態でした。
それが王権のもとでの仏教体系の中で正統なものとして取り込まれるようになったのが、
19世紀なかば、英緬戦争下のミンドン王の時代であったようです。
イギリスの植民地となっていた20世紀初頭にはカマタン・イェイター(座禅所)が設立され、
出家在家の別なく瞑想をおこなえる場が出現しました。
 ※イェイターとは、暑さから人々を保護する木陰のやすらい場を意味し、瞑想センター一般を示す言葉です。

さらに、独立後から第六回仏典結集にかけてウー・ヌ首相の時期に、
ターダナー・イェイターという仏教瞑想センターが作られ、集中力を養うサマタ瞑想以上に
知慧を生じさせるヴィパッサナー瞑想の重要性が一層強調されるようになりました。
そして、瞑想を実践するなら悟りの過程に入ることも可能で、そうした人々こそが
近代ビルマを指導する資質を備えているという認識が、この時期に生まれ
現在にも受け継がれています。

現在ミャンマー国内には、外国人も参加可能な瞑想センターがいくつかあります。
  • インターナショナル瞑想センター
  • ウー・バキン瞑想センター
  • マハーシ瞑想センター
  • チャンミ瞑想センター
  • ウー・パンディタ瞑想センター
これらの瞑想センターのほとんどが、無料で修行できるシステムになっています。
それは、「瞑想する人々を支えることは仏陀に布施することに等しい。」と言われるように、
ミャンマーの人々は信仰心が厚く、多くの人々が修行者のために喜んで寄進するからなのです。
素晴らしいことですね。

さて、瞑想センターのタイムテーブルの一例を記載しておきます。
瞑想センターへの参加をお考えの方は参考にしてください。

 4:00~      起床、お茶
 4:30~6:00  瞑想
 6:15~      朝食
 7:30~8:30  瞑想
 9:00~10:00 瞑想
10:30~      昼食
12:30~14:00 瞑想
14:30~15:00 瞑想
16:00~17:00 お茶(五戒の場合は夕食)
17:30~18:30 講話
19:00~19:45 講話
21:00~      就寝


宗教間の対立


ここまでは、ミャンマーって良い国だなと思えてきますが、
ミャンマーにも暗部はあります。

軍事政権と少数民族との対立は以前から存在しましたが、
宗教間の対立はミャンマーではこれまで聞かなかったように思います。

しかし、昨年6月にラカイン州でイスラム教徒のロヒンギャ族と仏教徒の対立が激化。
今年の3月にはメイッティーラで死者が多数出る暴動や放火が発生し、
暴動に加わる僧侶姿の人々が目撃されています。この対立の扇動者として
浮上してきたのは仏教の高僧でした。これはアメリカのタイム誌でも特集されました。

道徳律を守るべき仏教僧がこういった扇動や暴動に参加しているということは
非常に残念なことです。

生きとし生けるもの全ての幸福を願うことが、
仏道を志す者のあるべき姿なのではないでしょうか。

この対立が早く治まってくれることを祈るばかりです。

瞑想ビザ


これは本当にミャンマーならではの制度なのですが、瞑想ビザがあります。
瞑想修行に来る外国人のために長期滞在を可能にするビザです。

だれでも簡単に取れるわけではなく、滞在に関しての保証人の証明や
スポンサーシップ・レターの取得などが必要になります。

しかし、真剣に瞑想の修行を志す者にとっては、大変有難いビザになるでしょう。


最後に、パーリ語で書かれた仏典のうちではおそらく最も有名だと思われる
「ダンマパダ」(法句経)から一言拝借いたします。


” もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。
                          影がそのからだから離れないように。”
                                  
                                  「ダンマパダ」


2013年9月10日火曜日

チェンマイ式タイマッサージ講座(レベル1,レベル2)@よみうりカルチャー横浜



チェンマイ式タイマッサージ講座10月2日より始まります。

 場所は、よみうりカルチャー横浜(そごう横浜9階)。
 毎週水曜日13:00~15:00 の1日2時間、3ヶ月(12月25日まで)。
 受講料:   34,125円 3ヶ月 13回
 テキスト代: 3,000円

 初めての方から本格的に学びたい方まで、講師の須甲雅弘が丁寧に指導致します。

講座をご希望の方は、9月25日までに下記リンクより御予約お願い致します。

詳しい内容(料金等)は下記リンクを御覧ください。
ご予約も下記リンクよりお願い致します。

【よみうりカルチャー横浜】
http://www.ync.ne.jp/yokohama/kouza/201310-11750070.htm

皆様のご参加を心よりお待ちしております。

2013年8月11日日曜日

チベット仏教国ブータン。 ~ 国民総幸福量GNHの現状 ~

写真: 中国チベット自治区ラサ近郊の僧院で。

私はアジアで今行きたい国が2つあります。
ミャンマーとブータンです。
どちらも仏教に所縁の深い国ですね。

ミャンマーは人口の90%が上座部仏教徒。
ブータンは世界で唯一チベット仏教を国教とする国家です。

今回ご紹介したいのは後者のブータンです。

ブータンでは、先月の7月13日に下院議員選挙が行われました。
前国王の主導により、2008年に約100年続いた王制から立憲君主制に移行しました。

今回は、立憲君主制に移行して2回めの選挙でした。
選挙の結果、野党の国民民主党が過半数を獲得して
与党のブータン調和党を破り、政権交代となりました。

与党だったブータン調和党は、2008年の立憲君主制移行にともなって経済成長や
都市化を進めてきましたが、王制のもとで保護してきた伝統文化が変質してしまったり、
格差や環境汚染などの社会問題が顕在化していました。

AFPフランス通信社では7月15日のニュースで、
『この選挙結果について専門からは、「幸福の国」を掲げる同国の
「国民総幸福量」(Gross National Happiness, GNH)指標や
経済の先行きに対する国民の不安を反映していると指摘した。』
と報道しています。

国民総幸福量GNHとブータンの現状


国民総幸福量GNHは、数年前に日本でも話題になりましたね。
国民総生産GNPや国内総生産GDPの経済的・物質的な豊かさの指標に対し、
精神面での豊かさを指標とする概念です。

GNHについて、ブータン政府観光局から引用します。

” 第四代国王は、国家の問題が経済成長だけに特化されることを心配し、ブータンで優先するべきなのはGDPではなくGNHだと決めました。そして、国の発展の度合いをGNHで測ることを提唱しました。彼は、豊かであることが必ずしも幸せではないが、幸せであると段々豊かだと感じるようになる、と言っています。一般的な発展が、経済成長を最終目的として強調するのに対し、GNHの概念は、人間社会の発展とは、物質的な発展と精神的な発展が共存し、互いに補い合って強化していったときに起こるものだ、という考えに基づいています。”

素晴らしいコンセプトですね。
実際にGNHのコンセプトに基いて政治が行われるならば、
国民は幸福感で満たされるのかもしれません。
少なくとも、2005年頃までのブータンではGNHを軸にした政治が成功していたと思います。
しかし、物質的発展と精神的発展のバランスを取ることは大変難しいようです。
上記の様に、ブータン自身が今その問題に直面しています。



上のグラフは、1980年~2013年までのブータンの実質経済成長率を表したものです。
ブータン調和党が政権を取った2008年~2013年の平均実質経済成長率は7.9%。
この急速な経済成長の裏で、経済格差や環境問題が発生し、幸せを実感できない人が
増加しているのが現状です。

さらに、ブータンでは歳入の約30%をインドからの支援賄うなど、経済的にインドに依存する
状態が続いています。今回の選挙を巡っては、インドは6月にブータンに輸出する
灯油等への補助金を打ち切り、燃料価格が高騰したことから、ブータン国民の不満が高まり、
野党の地滑り的勝利の一因になったと言われています。

ブータンで活躍した日本人、西岡京治


ブータンへの援助は、ほとんどがインドからのものですが、日本もブータンへの国際援助を
行なっています。ブータンで活躍された西岡京治さんは、1964年~1992年の28年間、
同国への農業指導に自らの人生を捧げました。1980年に彼はブータン農業の貢献を
評価されて、国王から「ダショー」の称号を贈られました。
ダショーとは、最高に優れた人という意味です。
彼の活躍の詳細は下記のリンクを御覧ください。



ブータンの暗い過去、南部問題


さて、話がそれましたが、
ブータンが高い水準の国民総幸福量をこれまで維持できた背景には、
国民の連帯意識を重視した政策があったようです。

ブータンの民族構成は、チベット系約8割、ネパール系約2割ですが、
80年代後半に増加しつつあるネパール系住民に危機感を覚えたブータン政府は、
1985年、定住歴の浅い住民に対する国籍付与条件を厳しくしました。
結果的に、国籍を実質的に剥奪された住民が、
特に南部のネパール系住民の間に発生しました。

さらに、1989年に「ブータン北部の伝統と文化に基づく国家統合政策」が実施されます。
その内容は、チベット系住民の民族衣装着用の強制、ゾンカ語の国語化、
伝統的礼儀作法の順守等がありました。
これに対し、ネパール系住民が多いブータン南部において、この政策に反対する
大規模なデモが繰り広げられました。
このデモを弾圧するために、ネパール系住民に対する取り締まりが強化され、
拷問などの人権侵害があったとの報告もされています。
幸福の国らしからぬ行為ですね。
この混乱から逃れるため、多数のネパール系住民が難民としてネパールに流出しました。
ネパールの難民キャンプで生活するブータンのネパール系住民は、10万人といわれています。

国のアイデンティティや連帯意識を重視しようとした結果、
民族浄化とも言える政策をとってしまったことは、ブータンの恥ずべき過去でしょう。

国家としての幸福とは?


ブータンという国は多くの辛い過去を経験して今に至るわけですが、
国家としてどのように幸福を定義しているのでしょうか。
ブータン政府は、国民総幸福量について4つの柱があるとしています。
  1. 公正で公平な社会経済の発達
  2. 文化的、精神的な遺産の保存、促進
  3. 環境保護
  4. しっかりとした統治
ブータン政府は、この4つの柱に基いて国家を運営しています。
そして次の9つの構成要素によってGNHを測っています。
  1. 心理的幸福
  2. 健康
  3. 教育
  4. 文化
  5. 環境
  6. コミュニティー
  7. 良い統治
  8. 生活水準
  9. 自分の時間の使い方

4つの基本理念にそって国家を運営し、9つの構成要素で国民の幸福度を計測する。

物質的・経済的な豊かさの値で国や国民を数値化する実状への批判として、
精神的な豊かさの概念を提示するブータンの姿勢には賛成しますし、素晴らしいと思います。

しかし、近年の国民の不安や幸福感を感じられない状況は、
4つの柱のバランスが崩れてきていることを表しており、急速な経済発展が進む現状での
GNHに基づいた国家の運営がいかに難しいかを示しています。

個人としての幸福とは?


7月のWired誌で面白い記事がありました。
イギリスで実際に幸福を実感するために必要な自由時間を調査した保険会社があります。



実社会で仕事をこなしている人々にとって、幸福をこの記事のように考えるのが一般的でしょう。

それでは、この国が国教と定める仏教の観点から、幸福というものを考えてみましょう。

仏教の立場で考えると、幸福とは自らの心の問題であって、
自分の外に原因を求めるものではありません。
自分の外に原因を求める限り、いつまでたっても問題は解決せず、心は満たされないでしょう。
外に原因を求めず、自らの内面を見つめなさいと仏教では説いています。

ブータンが鎖国状態の時代には、国民もこのような仏教の教えを尊び、
現状に感謝する生活の中で、内面の幸福を感じていたのかもしれませんね。


最後に幸福について、ブータンの国教でもあるチベット仏教の最高指導者
ダライ・ラマ14世のお言葉をお借りします。
 (正確にはブータン国教はチベット仏教ドゥク・カギュ派、ダライ・ラマはゲルク派)

 ”物やお金だけでは本当の幸福は得られない。幸せとは心の平和。”

 ”だれもが願っている幸福な人生。あなたはどうしたら幸せを見いだせるのだろう。
  そのためになにより大切なのは、あなたのなかにある、穏やかで優しい
  「思いやり」の心を育むことだ。”
                               ダライ・ラマ14世

私個人としては、この言葉を実践できる人になれるように努力したいと思います。

2013年7月26日金曜日

ヨーガとタイマッサージ、そして仏教 【後編】




前編では、ヨーガとタイマッサージの共通点をご紹介しました。
後編では、タイマッサージに見る仏教の影響をご紹介していきます。

タイマッサージと仏教


タイ人の約95%が仏教徒といわれています。
そのため、タイの文化や生活様式、さらにはタイ人の気質にまで大きく影響を与えています。
それは、タイ国が使用する歴を見ても良く解ります。
タイでは、イエス・キリストが生まれたとされる年の翌年を元年とする西暦ではなく、
お釈迦様が入滅したとされる年を元年とする仏暦を採用しています。
ちなみに、西暦2013年は仏暦2556年となります。


仏教といっても、日本の仏教を想像してタイを訪れると、驚きが待っているはずです。
日本の仏教は、自分だけでなく大衆をも救うことを目的とした大乗仏教といわれるもので、
大衆と共に生活をしながら、彼らを苦しみから救うために尽力します。ですので、
日本のお坊様達は、肉も食べればお酒も飲むし、妻帯も許されています。
しかしタイの仏教は、自己を救済する者は、自己以外には無いという立場から、
自己の煩悩を断ち、自らが解脱を得ることを目的とした上座部仏教といわれるものです。
彼らの戒律は厳しく、酒タバコは厳禁で、もちろん妻帯は許されません。
そして毎日托鉢で日々の食料を得て暮らしています。基本的に肉は食べませんが
托鉢やお布施で頂いたものに肉が含まれていた場合は有難く食します。


私はタイに訪れる際には、朝にお寺にお邪魔させてもらうことが多いのですが、
よくタイ人の僧侶に日本のお坊様のことを聞かれます。
「日本の僧侶は妻帯もありなのか?酒も飲んで良いって本当か?」等々。
私が、「その通りです」と答えると、
「なんだそれ!なんでもありだなぁ(笑)!」と本当に驚いていました。
逆にタイの僧侶は、女性に触れることも禁止されていますので、
よく日本人の女性観光客が、写真を一緒に撮って欲しいと言って腕を組んだりして
くっついてくるので困ると苦笑いしていました。
観光と言えど、相手の国の文化を学んでおくことは大切ですね。

さて、話をもどしましょう。
タイの仏教を大雑把に理解していただいたところで、
今度は、タイマッサージを行うときに非常に重要だとされる仏教の概念があります。
それが、慈悲喜捨の心です。
 ※詳しくは、2013年6月22日 ヨーガと仏教 ~慈悲喜捨の心~ を参照願います。
この慈悲喜捨の概念は、ヨーガの経典である「ヨーガ・スートラ」にも出てきます。
ヨーガとタイマッサージ、そして仏教が繋がってきますね。
そして、この慈悲喜捨の心を養うために奨励されているのが、瞑想です。
上座部仏教の瞑想法は、ヴィパッサナー瞑想と呼ばれるもので、
ヴィパッサナーとは「物事をあるがままに見る」という意味です。
ゴータマ・ブッダ(お釈迦様)は、このヴィパッサナー瞑想によって悟りを得たとされ、
タイ・ラオス・ミャンマー・スリランカ等の上座部仏教圏で広く実践されています。

タイにあるマッサージ学校では、毎朝練習の前にヴィパッサナー瞑想を行うという
ところもめずらしくありません。マッサージは人の身体に触れる技で、相手の影響を
受けやすいものです。自分がクリアな状態であれば、相手がどんな影響を及ぼそうとも
硝子のように通過して影響を受けず、逆に相手に自分のクリアな状態を与えるような
セラピストの心、それがヴィパッサナー瞑想によって育まれるものなのかもしれません。

タイでは、一般の人々が日曜になると白い服を着て
お寺に瞑想に行くという光景を度々見かけます。
タイでは仏教の浸透と共に、ヴィパッサナー瞑想も浸透しているようです。


私が尊敬するタイ伝統医学の先生は、慈悲喜捨の心を持つお手本のような人物です。
この先生は治療マッサージも行うのですが、とても評判が良く、先生について勉強したいという
人も沢山います。ですが、先生は利益を得ることは頭に無いようで、本当に質素な生活で
満足されています。そしてお酒も飲まず、もちろんタバコも吸いません。
ある日、先生のマッサージを受けようと思い予約を入れました。実際その時は
身体に何か異常があるわけではなかったのですが、帰国前に一度身体を
メンテナンスしてもらおうと考えていました。そして、指定の時間に先生の家にお邪魔すると、
早速先生は施術の前に私の身体を軽く触りながら状態を見ていきました。
2,3分してから先生が、「君はどこも悪くないので、私は何もできないよ。」と一言。
そう、先生は治療でマッサージを行なっているので、異常がない人は軽く状態を見た後に
帰ってもらっているのです。もちろんその際お金は取りません。私もその日は、
先生が作ったハーブティーを頂いた後、しばらく世間話をしてから宿に帰りました。

どこも悪くないのに、恐怖心を煽って適当な施術で高いお金を取る人や、お金をかけた立派な
宣伝で人を集め中身の無いものを平然と提供する人が繁茂するこの世の中で、
このタイ伝統医学の先生のような人格者は、本当に尊ばれるべき存在なのだと思います。



さて、前編後編に分けてヨーガとタイマッサージ、そして仏教をご紹介してきました。
仏教はタイに深く浸透していて、タイマッサージとも深く結び付いています。
そして、その仏教はインドを発祥の地とし、ヨーガの影響も見受けられます。
源流を辿れば、すべてインドに行き着くようにも思えてきますね。
それは、道徳的に正しいことを説くものであったからこそ、広くアジア全域に
仏教として多くの人々に受け入れられたのでしょう。

最後に、 ヴィパッサナー瞑想は、タイのお寺で広く実践されています。
その中で、外国人向けの瞑想コースが用意されているお寺もあります。
タイに訪問予定で少しお時間がある方がいたら、試されてみてはいかがでしょうか。

 ※タイ、チェンマイにあるドイ・ステープ寺のH.P.リンクを載せておきます。
   外国人向けの瞑想コースが用意されています。
   http://www.fivethousandyears.org/

2013年7月21日日曜日

ヨーガとタイマッサージ、そして仏教 【前編】



先日、また鎌倉にある建長寺さんの坐禅会に参加させてもらいました。
ところで、最近鎌倉に行くと、お寺でタイ人の観光客を度々見かけるようになりました。
おそらく7月1日から開始された、タイ国民が日本入国する際の査証免除(観光目的の15日間滞在)措置が効いているのだと思います。タイに友人のいる私としてはとてもありがたい措置です。
タイは、国民の90%以上が仏教徒ですので、日本独特の仏教文化は興味深いものでしょう。
そういった意味で、鎌倉へのタイ人観光客増加も納得がいきますね。

ヨーガとタイマッサージ、そして仏教。


以前に、ヨーガと仏教の共通点についてご紹介しました。今回は、ヨーガとタイマッサージの
共通点、そしてタイマッサージに見る仏教の影響をご紹介したいと思います。

ヨーガとタイマッサージに見る、生理学の概念。


ヨーガとタイマッサージは、その生理学の概念に共通点が多く、
ほぼ同じと言っても良いかもしれません。

ハタ・ヨーガでは、人間の身体を次の3つの概念に別けて考えています。
  1. 実際に目に見え触れることのできる肉体。粗大身(ストゥーラ・シャリーラ)
  2. 目には見えず、意識と生命エネルギーでできていて、
    肉体が滅びても朽ち果てることは無い。微細身(スークシュマ・シャリーラ)
  3. 自己と非自己を見分け、個人が個人として存在しうる原因であり、
    粗大身と微細身の存在を可能ならしめている。原因身(リンガ・シャリーラ)
この2つ目の微細身に存在するのが、生命エネルギー「プラーナ」の通り道である
脈管「ナーディ」であり、タイマッサージでは「セン」と呼びます。

ハタ・ヨーガの経典の1つである「ゴーラクシャ・シャタカ」では、
微細身には7万2千本のナーディがあると書かれています。
タイマッサージでも全く同数の7万2千本のセンがあると言われています。
さらに、「ゴーラクシャ・シャタカ」では、そのうち10のナーディが重要とされています。
タイマッサージでも同様に主要な10センが重要とされます。

10のナーディは、全て臍下にあるカンダと呼ばれる部分から発生していて、
日本でいう臍下丹田がこれに当たります。
このカンダを起点として、身体の穴(目、鼻、耳等)が終点となります。
タイマッサージでは両手・両足に伸びる脈管も加えられています。
上の表は、ハタ・ヨーガとタイマッサージの10本の主要脈管を示したものです。
上から3つまでは、ほぼ同じですね。
そして、その下からは名称はにているけれど、部位が違ったりしています。
ハタ・ヨーガの文献では、10のナーディを重要とするものの他に14を重視するものもあります。
おそらく、インドの文献が何らかのかたちでタイに伝えられた時に、
足したり引かれたりしながらタイの文化や環境にフィットするように最適化されて
現在の10センに落ち着いたのだと思われます。
タイでの10センの概念は、マッサージに限らずタイの伝統医学全般で利用されているものです。

タイ伝統医学の祖は、シワカ・コマラパ師とされていますが
彼は約2500年前、ゴータマ・ブッダの時代にインドに生まれたと文献にあります。
そして後にゴータマ・ブッダの主治医となった方です。
ですので、このヨーガとタイマッサージに共通する生理学の概念は、必然であると言えますね。


さて後編では、タイマッサージに見る仏教の影響をご紹介します。

2013年7月6日土曜日

脳が創り出す実体験。 ~2冊の本を読んで~



今週、2冊の本を並行して読みました。
1冊目は、木村秋則氏の「すべては宇宙の采配」と、
2冊目は、V・S・ラマチャンドラン氏の「脳のなかの幽霊」。  

木村氏は、不可能と言われた無農薬、無肥料でのりんご栽培を実現した方で、
その実現に至るまでの体験を綴ったのがこの本「すべては宇宙の采配」になります。

V・S・ラマチャンドラン氏は、カリフォルニア大学サンディエゴ校の
脳認知センター教授、所長、同大学心理学部神経科学科教授。
視覚や幻肢の研究で知られ、興味深い症例を紹介しながら
脳科学の可能性に迫っていくのがこの本「脳のなかの幽霊」です。

木村氏の本では、彼のりんご栽培成功までの凄まじい体験と共に、
UFOや超常現象の体験にもかなりのページを割いています。
「すべては宇宙の采配」のなかで、彼の主観で語られる体験は、
真実であることに疑いはありません。しかし、「脳のなかの幽霊」を読むと、
脳がどのように超常的な体験を創り出すかが見えてきます。

ラマチャンドラン氏は、幻肢という事故などで失った、
実際には存在しない手足の感覚や痛みに悩まされる症状や、
脳に出来た動脈瘤によって本物よりも本物らしい幻覚を
毎日見るようになった患者、そして、宗教的な恍惚状態や、
神が直接語りかけてきたと主張する側頭葉てんかん患者の症例から、
科学と哲学の最大の難関である、自己の本質に近づいて
いくことができるのではないかと指摘しています。

面白いのが次の文で、
「視覚は単に脳内のスクリーンに像を送っているのではなく、
眼球のなかでゆらめく断片的なはかない像をもとにして、経験から
わりだした推測をするという、驚異的な能力をもっている。
その具体的なあらわれの1つに、
視覚像のなかにある不可解なギャップに対処する、驚異的な能力がある。
たとえば柵の向こうにいるウサギは、ウサギの断片の連続ではなく、
柵の縦杭の後ろにいる1羽のウサギに見える。
つまり、心がウサギの欠けている部分を補ったのである。」

この様に、視覚とは、単に見たものを映しているだけではなく、
脳がかなりのイメージを創りだしているようなのです。

そう考えると、UFOや超常現象体験なども脳が創りだしたイメージに他ならないと
言えなくもないでしょう。

ただ、現代科学で説明できないことはもちろん存在するでしょう。
しかし、私達は科学の全てを知っているでしょうか?
最先端の脳科学等はかなり進んでいるようですし、少し前に説明できなかったことが
今は当然のことになっているかもしれません。

最後に、木村秋則氏の「すべては宇宙の采配」でUFOの体験等が語られていますが、
この本で重要なことは、その体験が本物か幻覚かではありません。
極端な話、体験の真偽はどちらでもよいのです。この本で本当に大切なことは、
木村秋則氏が信念を持って自然の声に耳を傾けて突き進んできた体験を通して
語っている、物事の本質を理解するということなのではないかと思います。

木村秋則氏は本書のなかで、こう言っています。

『思いや、気持ちの持ちようで、
 いくらでも物事を変化させられる。』

2013年7月3日水曜日

格安オリジナル名刺


格安のオリジナル名刺印刷サービスを見つけました。

 『 前川企画印刷 』

白黒で100枚、1000円!
カラーでも100枚、1300円!
本当に安くてありがたいですね。

私も早速注文してみようと思います。

2013年6月22日土曜日

ヨーガと仏教 ~ 慈悲喜捨の心 ~

先日、鎌倉にあるお寺の坐禅会に参加しました。

雨の建長寺は、綺麗なアジサイが
迎えてくれました。
 ※建長寺http://www.kenchoji.com/ 
  (建長寺坐禅会毎週金・土曜日
             夕方5時から6時
  
その時、意外にも若い参加者が多い
という印象を受けました。
ライフスタイルの欧米化を
疑問を持たずに進んできた日本ですが、
今のこの世の中になって伝統文化や神道、
そして仏教を再確認すべきだと
多くの人々が感じているのでしょうか。


ところで、
ヨーガは仏教と多くの共通点があることを
ご存知でしょうか?

歴史的に見るとヨーガは、その発祥が
紀元前26001800年頃に
栄えたとされるインダス文明にまで遡る
とされています。有名なヨーガの教典
パタンジャリ・ヨーガ・スートラは、
紀元前3世紀頃に書かれたと
言われています。
そして、仏教は紀元前500年頃に興り、
当時は新興宗教として異端でした。

仏教は、当時のバラモン教の祭儀主義を
否認しましたが、バラモンによってすでに
定められていた諸々の規範を自分たちの
禁欲的な勤行や生活様式のうちに受け入れています。

ヨーガは当時のバラモン教やその後のヒンドゥー教文化と深く結びついていましたから、仏教とヨーガはお互いの良い部分を取り込んで発展してきたと考えられます。

今日は、ヨーガの経典パタンジャリ・ヨーガ・スートラに出てくる一節と、
仏教経典によく出てくるキーワードとの共通点を見てみたいと思います。



 ― 慈悲喜捨という概念 ―

ヨーガ・スートラの1章33にこうあります。

 MAITRĪ KARUNĀ MUDITOPEKSHĀNĀM SUKHA DUHKHA PUNYĀPUNYĀ
 VISHAYĀNAM BHĀVANĀTAŚ CHITTA PRASĀDANAM.

 他の幸福を喜び(慈)、不幸を憐れみ(悲)、他の有徳を欣び(喜)、
 不徳を捨てる(捨)態度を培うことによって、心は乱れなき静澄を保つ。
                            
        ※スワミ・サッチダーナンダ著 「インテグラル・ヨーガ」 より引用


ヨーガ・スートラはサンスクリット語で書かれています。
上記はサンスクリット語をラテン文字で音写したものです。

サンスクリット語で、
「慈」MAITRĪ(マイトリー)
「悲」KARUNĀ(カルナー)
「喜」MUDITĀ(ムディター)
「捨」UPEKSHA(ウペークシャ)

仏教では、四無量心または四梵住という言葉によって表現されます。
生きとし生けるもの全てを対象とする心の働きということで、
無量という言葉が入ります。
仏教では、多くの経典によって四無量心が説かれていて、
非常に重要なことだとされています。

初期仏教の経典はパーリ語で書かれています。
パーリ語とは、当時ゴータマ・ブッダが暮らしていた地域に
広く使用されていた方言で、バラモン階級が使うサンスクリット語と違い、
広く民衆が使用した言葉でした。

パーリ語で、
「慈」METTĀ(メッタ-)
「悲」KARUNĀ(カルナー)
「喜」MUDITĀ(ムディター)
「捨」UPEKKHĀ(ウペッカー)

後期の仏教経典ではサンスクリット語のものも多く、仏教では時代によって
どちらの言語でも説かれてきたといえるでしょう。

このヨーガでも仏教でも説かれている四つの言葉の意味は、

    「慈」 マイトリー/メッタ―
慈とは、いつくしみの心です。生きとし生けるものに対して、
慈しみの心を持つということです。他人の幸福に友愛の念を持つということ。

    「悲」 カルナー
悲とは、悲しみではなく、人を苦しみから解放してあげる事を目的として
行動することです。生きとし生けるもの苦しみに対し、
その痛みを取り去ってあげたいと願う、同情する心です。

    「喜」 ムディター
喜とは、喜ぶ心です。他人の幸せを自分のことのように
心から喜べる心をいいます。
生きとし生けるものの幸せを心から支持する心です。

    「捨」 ウペークシャ/ウペッカー
捨とは、無関心・中立・平静であるという意味があります。
つまり、自分勝手な判断を捨てて、あるがままの姿を観ることを意味します。
捨の心は、生きとし生けるものを平等な存在として観る心です。


これらの四つの心は、西洋では「愛」という概念で表されているものだと思います。
ヨーガと仏教が紀元前数世紀から、現在では愛という言葉でまとめられた
慈悲喜捨という心の状態を、非常に重要なものとして受け継いできたことは、
これが宗教や洋の東西そして文化を問わず、
不変的な道徳律であるからなのでしょう。

ヨーガを学ぶことは、心の真理に触れていくことでもあると思います。
それは、私達が昔から馴染みある仏教でも既に説かれている場合が多いのです。
若い方たちが、仏教に親しむことでヨーガの理解を深め、
心の真理に近づいていけるのなら、
彼ら自身はもちろん、その次の世代の人たちにとっても、とても喜ばしいことでしょう。

建長寺の龍王殿入り口に置かれていた仏教情報誌のタイトルが、
まさに慈悲喜捨の「喜」ムディターでした。

2013年3月12日火曜日

花粉の季節 ヨーガのテクニックで花粉症対策

毎年この時期、厳しい冬の寒さから抜けて温かい春へ移行する喜ばしい季節のはずなのに、
花粉症の皆様はそう素直に喜べる季節でもないようです。

ハタ・ヨーガには、クリヤーと呼ばれる身体浄化技法があり、
その中にジャラ・ネーティという鼻洗浄の技法が存在します。
鼻の汚れを除去し、風邪の時の鼻粘膜の炎症改善等に効果があることが知られていますが、
花粉症の予防、症状軽減にも効果があるようです。

今回はジャラ・ネーティについて紹介していきます。


~ ジャラ・ネーティ ~



 ジャラ・ネーティとは、ハタ・ヨーガでクリヤーと呼ばれる身体浄化技法の中の1つです。
 クリヤーは次の6部門に分類されます。
  1. ダウティ     :消化器系上部
  2. バスティ     :消化器系下部
  3. ネーティ     :鼻腔
  4. トラータカ    :眼
  5. ナウリ      :腹部全体
  6. カパーラバティ :呼吸器系
 ジャラ・ネーティは3番目に入りますね。

 それでは、クリヤーの目的とは何でしょうか。
 目的は大きく分けて2つあります。
 1つ目は、身体の内部組織の反射反応のバランスを整えること。
 2つ目は、生理的バランスを維持すること、また免疫機能を正常に保つということです。


 次にジャラ・ネーティの効果ですが、
  • 鼻の汚れ(花粉や細菌)を除去。
  • 過度な鼻水の排泄。
  • 風邪の時の鼻粘膜の炎症改善。
  • 鼻の感覚器官を活性化。
  • 視力の改善。
 等になります。視力の改善というのが興味深いですね。


 それでは、これから実際のやり方について紹介していきます。

 準備する物は、ネティポット、塩(出来れば天然)、温水、タオル、
 そしてグラスにティースプーン1杯程の塩を入れ、ぬるま湯で溶いて用意します。

図1.ネティポット


 用意が出来たら、次の要領でジャラ・ネーティを行います。
  1. 用意した塩水をネティポットに注ぎます。
  2. 少し前のめりで洗面所の前などに立ちます。
  3. ネティポットを一方の鼻の穴に差し込みます。そして、差し込んだのと反対側に身体を少しゆっくりと傾け、水が鼻から重力によって出てくるまで保持します。
  4. 口は常に半開きの状態で、ゆっくり口で呼吸します。
  5. 水は上鼻道から下鼻道を通って出てきます。
  6. 頭を僅かに前のめりにすると、水は口にいきません。
  7. ポットの半分くらいの塩ぬるま湯を使ったら、まっすぐに立って、カパーラバティの要領で3~5回程両鼻から息を吹き、塩ぬるま湯と鼻水を排出します。次に親指で軽く上になっていた方の鼻を塞ぎ、片方の鼻のみで同様に息を吹き出します。
  8. 反対側も同様に行います。
  9. 最後に、鼻の奥の温水を出しきるために、10~15秒程パーダ・ハスタ・アーサナ(図2)を保持してから起き上がります。2回程繰り返して下さい。時間があれば、しばらくマカラ・アーサナ(図3)で休んでおくと自然と温水が鼻から出てきます。
図2.パーダ・ハスタ・アーサナ


図3.マカラ・アーサナ
以上が実際のテクニックになります。

 ジャラ・ネーティは、早朝(出来れば日の出前)に行うのが効果的とされています。
 しかし一般的な社会人で早朝が難しいという方は、帰宅後の夕食前が良いでしょう。
 要は身体がなるべく空腹で何も入っていない状態が好ましいということです。

 また、就寝前に行った場合、副鼻腔内に残った水分によって
 中耳炎などのトラブルを引き起こす危険があるので控えた方が良いでしょう。


 蓄膿症や中耳炎を患っている方や後鼻漏がある方は、医師のアドバイスに従って下さい。
 下記リンクに医師からの注意点があります。参考にして自己責任で行なって下さい。
 

2013年1月11日金曜日

アジア、男女格差の現状

先月デリーの事件以来、アジアでの女性差別の記事を頻繁に目にするようになった。
このAFPの記事もそうだ。

"「魔女狩り」被害に遭う下層民の女性たち、ネパール"

南アジアでは「魔女狩り」の事件を度々ニュースで見ることがある。
インドのビハール州等では、いまだに「魔女狩り」が行われていると聞く。
この記事にもあるが、インド、ネパールではいまだにカースト制の影響が濃く、
さらに父権社会であることから、ことさら下層民の女性の地位は極めて低い。
ほとんど人間扱いされていない場合も多いようだ。

それでは世界の中で、アジア女性の地位はどうなのだろう?

世界経済フォーラムによる2012年世界男女格差報告を見ると、
日本の男女格差指数は135ヵ国中101位。先進国で最低水準だ。
先月の大統領選挙で初めて女性候補(朴槿恵)が当選した韓国でさえ108位。
韓国の状況に関しては、CNNの次のような記事もある。

”韓国で女性大統領誕生、しかし男性優位の状況は変わらず?”

不思議だが、インドは105位で韓国より上位だ。
これには人口や男女の人口比による要因もあるだろう。

インドよりカースト制による階層が根強いといわれるネパールは123位である。

ちなみに、中国は69位、タイは65位、アジアで一番上位はフィリピンで8位だ。
上位3ヶ国は上から、アイスランド、フィンランド、ノルウェー。


当然、男女の権利や機会は平等であるべきだと思う。
ただ忘れないでおきたいことは、男性と女性は同じではないということ。
男性と女性では体の構造はもちろん異なるし、思考パターンにも違いがあるだろう。
いくつもの事を並行してこなせる女性が多いのに対し、
多くの男性はそういったことは苦手で、代わりに一つの事に集中するのが得意だったりする。

大切なことは、男性と女性がお互いを違うのだという認識を持った上で、
お互いを思いやるということなのではないだろうか。

男性でも女性でも、カーストの違うものどうしであっても、
お互いが慈愛ある心で接して欲しいと願う。

2013年1月6日日曜日

インドの女性地位向上は実現できるのか?

インドのニューデリーで前月16日、23歳の女性がバスの車中で暴行され死亡した事件が
インド国内はもとより世界中でニュースとなっている。

”AFPBBニュース「インド女性暴行死事件、恋人男性が絶望を語る」”

この事件に対してインド全土で抗議デモが続いている。

私は2009年に2ヶ月程ニューデリーに滞在した経験がある。
ディフェンス・コロニーという地区にある知人の家に居候して、
カイラッシュ・コロニーという地区にあるヨーガ・センターに通っていた。
センターまでの往来はバスを使った。日本円にしたらオートリキシャー(三輪タクシー)でも
十分安かったが、バスは別格で安い。
当時はセンター近くまでバスで片道7ルピーだった。日本円で11円程。激安だ。
バスは日本では考えられないぐらいくたびれている。まさにボロボロだ。
バスに乗るのは本当に所得の低い層の人達だ。
ある日帰りにバスを降りる時に後ろから肩を叩かれた。ふと振り返ると
居候させてもらっている知人宅のお手伝いさんだった。そういう人達の移動手段なのだ。

私が通っていた時も柄の悪い連中が乗っていた時があった。
私の移動距離は20分程だったので身の危険を感じたことは無かったが、
そういう悪い連中が起こした今回の事件は許し難く、残念でならない。
ニュース記事を読んでいると気分が悪くなる程酷い事件だ。

インドでは基本的に男系社会であり、女性の地位が低い。
加えて男女の人口比が110.6:100と男性の人口が多いことが
結婚にあぶれた男性を増やし、レイプ犯罪増加に繋がっているとの見方もある。

インドでは伝統的文化的な背景から男児が好まれる傾向にあり、
女児が生まれると間引かれることも今だに地方では行われている。
このことも女児の死亡率を上げ男性人口の増加の要因となっている。

今回の事件で、インド全土で女性の地位の向上を求めて抗議デモが行われているが、
一般の人々の間にも今だにカーストのような階層が残っているのに
女性の地位向上を求めて意味があるのだろうか?その前にやらなければならないことが
山ほどあるのではないか?と思ってしまう。

しかし、インドは広大であり、その疑問も吹き飛んでしまうような活動が存在した。
女性の地位向上に貢献し、成果を上げている素晴らしい人達がいる。
時間がある方は是非この記事を読んで頂きたい。

Wired.jp ”最貧国の闇を照らす、女性のための「ベアフット・カレッジ」”

インドでは、今回のような酷い事件ばかり起きているわけではない。
女性の地位向上や人々の幸福を願って努力している素晴らしい方々が沢山いるのだ。

多くの覚者を輩出している雄大な国インド。
全ての人々が平等な機会を与えられる国つくりを願う。

全ての人々が幸福でありますように・・・