2014年11月6日木曜日

「尊厳死」 29歳の決断

「尊厳死」 29歳 ブリタニー・メイナードさんの決断




アメリカ・オレゴン州在住の女性、ブリタニー・メイナードさんは、末期の脳腫瘍という診断を受け、 尊厳死の選択という患者の権利を積極的に提唱してきた。地元紙「オレゴニアン」によると、ブリタニーさんは11月1日、自宅で医師から処方された薬を服用し、家族に見守られながら29歳で死去した。 
「愛する友人たち、そして家族の皆さん、さようなら」。雑誌「ピープル」によると、彼女はフェイスブックにこのように投稿している。 
「本日は、末期の脳腫瘍を患う私が、尊厳をもって死ぬために選んだ日です。世界は美しいところです。旅が私の最高の師であり、また身近な友人や家族は多くのものを私に捧げてくれました。さようなら、世界のみなさん。良いエネルギーを広げていってください。次につなげていきましょう!」
                                ”The Huffington Post  November 3, 2014



 上記の文章は、11月3日ハフィントン・ポストの引用です。
 29歳という若さで尊厳死の決断をしたメイナードさんは、どのような心中だったのでしょうか。


「尊厳死」の決断を下すまで


 メイナードさんは29歳の誕生日を迎えたばかりの2014年1月に脳腫瘍であることを知らされます。夫のダン・ディアスさんとは結婚したばかりで、これから子供を作ろうとしていたそうです。

 しかし、最初に脳腫瘍の診断を受けてから70日後、メイナードさんはさらに辛い宣告を受けます。彼女の脳腫瘍は、多形性膠芽腫という悪性のがんであり、告げられたのは、余命わずか6ヶ月という残酷な宣告でした。

 その後、メイナードさんはいくつもの病院、医師の診察を受け、数ヶ月かけて自らの病状と治療法について出来うる限りの情報を集めたそうです。その結果、病気が治癒することはないこと、医師が推奨した治療は自分に残された時間を奪っていくことになると知ります。もし仮にホスピスケアで緩和治療をしても、モルヒネでもコントロールできない激痛、それに伴う人格の変化や言語・認知・運動機能障害に苦しむ可能性があるという事実でした。友人や家族、そして夫をも認識できなくなるという苦しみ、そのことを見守ることしかできない家族の苦しみを考えたそうです。

 最終的にメイナードさんと家族は、「尊厳死」という究極の決断に至りました。そして、オレゴン州ポートランドに引っ越します。なぜならオレゴン州には、尊厳死法があるからです。この法律では、余命6ヶ月未満で責任能力がある成人の末期患者が、医師の処方で薬を自己投与して自殺することを認めています。





「尊厳死」が意味するもの。日本と米国の違い。




 この米国で使われている「尊厳死(death with dignity)」は、日本の尊厳死とは意味が違ってきます。

日本で言われている尊厳死とは、必要以上の延命行為なしで死を迎えることです。日本ではこの必要以上の延命行為なしで死を迎える尊厳死に関する法律はまだありません。これは米国ではどうなっているのかというと、「自然死」を意味しています。生前の意思表示に基づき、患者の人権としてほとんどの州において法律で許容されています。

そして米国で使われている「尊厳死(death with dignity)」は、日本では医師による自殺幇助を意味し、「安楽死」とされています。安楽死を認める法律は国内にはありません。


「死」とは? 「生」とは? 私達が生きる意味とは?




 このメイナードさんの「尊厳死」について、米国では大論争が沸き起こりました。
 いろいろな意見があるでしょう。それでもメイナードさんの決断は、家族や夫と十分に話し合い、メイナードさん自信苦悩の日々を経て出したものだと思います。

 この言い方は適切かどうか分かりませんが、あえて言いうと、メイナードさんはとても幸運であった様に思います。なぜなら、まず恵まれた土地に生まれ、尊厳死法のある州に移住できる経済力もあり、なにより慈愛に満ちた家族と夫に恵まれました。そして、愛する人々に見守られながら、やすらかに死を迎えることができました。自分の死をコントロールできる状況に恵まれたと言えます。

 尊厳死という概念は、おそらく高度な医療を享受できる先進国の人々に限られたものでしょう。世界の途上国等には、病院にも行けず自分の病名も分からぬまま亡くなっていく人が大勢います。私達はまず、この概念を語ることが出来る環境で生きていることに感謝するべきなのかもしれません。


 「死」とは全ての人に平等に訪れるものです。しかし、死の問題は非常に繊細なもので、普通はあまりその話題に触れようとはしません。人間とは往々にして、身近に起きる問題でないと関心を持たないものです。ある日、家族や友人、あるいは最愛の人に突然この問題が降りかかって来た時、はじめて死というものに向き合うのかもしれません。

 「死」と向き合うということは、生きる意味を確認することでもあると思います。
 私達はなぜ生きるのか、何のために生きているのか。メイナードさんの様に自分の人生の意味を、ある人は見つけられるかもしれません、ですが多くの人にとって人生の意味を導き出すことは容易ではないでしょう。

 その人生の意味を与えてくれる存在として、宗教が一定の役割を果たすのではないでしょうか。宗教は死後の世界を語ります。ある宗教は天国や地獄を、ある宗教は輪廻転生を語ります。それが真実かどうかは別として、それを信じることによって自分が生きる意味を見いだせるであれば、宗教の信仰というものに重要な社会的役割があるように思います。


 人生の意味を、信仰によって導き出すのか、やりがいある仕事によって導き出すのか、それとも友人関係や愛する人との関係によって導き出すのか、それは人それぞれ千差万別であるし、どれもそれぞれが正しいのだと思います。

 私が言いたいことは、「死」と正しく向き合うことによって、「生」がより明るく意味のあるものになっていくだろうということです。

 メイナードさんのフェイスブックへの最後の投稿が、そのことを語ってくれているような気がします。

「本日は、末期の脳腫瘍を患う私が、尊厳をもって死ぬために選んだ日です。 
世界は美しいところです。 
旅が私の最高の師であり、 
また身近な友人や家族は多くのものを私に捧げてくれました。 
さようなら、世界のみなさん。 
良いエネルギーを広げていってください。 
次につなげていきましょう!」
                            ”Brittany Maynard   November 1, 2014