2013年12月23日月曜日

ジプシー ~流浪の民~

2ヶ月程前にヨーロッパでのジプシーに関する事件を幾つかニュースで見かけました。
海外の報道機関の記事で、日本ではほとんど記事にならなかったように思います。
それだけ日本人にとって、ジプシーは遠い世界の存在なのかもしれません。

海外の映画やドラマ等では、ジプシーは一般の社会集団から外れて自由奔放に生きてゆく
人々であったり、得体の知れない不気味な集団として描かれたり、窃盗や詐欺集団として
描かれたりと、あまりプラスのイメージで描かれることはないと思います。

しかし、その社会規範から逸脱して生きる自由奔放な姿が
現代社会でいろんなものに縛られて生きている人々が憧れる要因なのかもしれませんね。

さて今回は、自由奔放に生きるジプシーとはどういう人々なのか、
彼らのルーツは何処にあるのかを探っていきたいと思います。


ジプシーとは何か?


サント・マリー・ド・ラ・メール(フランス)

ジプシーとは何でしょうか?

それはさすらいの人々、流浪の民です。
ジプシーというのは本来英語で、エジプト人、エジプシャンが変化してできたものだそうです。
ドイツ語ではチゴイネル、フランス語ではボエミアンといわれます。
ここでは紹介しませんが、ヨーロッパの国毎にいろんな呼名があるようです。

彼らは自分たちのことを、ロム、ロマ(複数)と呼びます。
これは人間という意味だそうです。
そして彼らはジプシー以外の一般ヨーロッパ人を多少軽蔑を込めて、ガージョと呼びます。

1971年4月8日、世界各地のロマ(ジプシー)がロンドンに集まり、第1回「ロマ国際会議」
 を開催しました。その会議で人々はそれまで使われてきた「ジプシー」「ツィゴイナー」等の
 人種差別的な呼称の全てを否定し、「今日から我々はロマである」と宣言しました。


ジプシーの外見


日本人がヨーロッパを旅行しているときに、ジプシーに出会っても、
必ずしも簡単には分からないでしょう。

彼らは何百年ものあいだ、一方では歌い踊りながら、また手相占いをしながら、
他方では行商や日雇いなどをしながら、世界各地を放浪してきました。

そういうことから、旅先の人種との混血が行われてヨーロッパの人々に似てきています。
それにジプシーといっても、住んでいる国や土地によって、それぞれ違った特徴を持っています。

ピタールという人類学者の興味深い叙述があります。

『やや日焼けした色、漆黒の髪、まっすぐな形の良い鼻、白い歯、生き生きしているが、ものうげなまなざしの切れ長の褐色の目、全体にしなやかな物腰、調和のとれた身のこなし。これらのことを考えると、ジプシーは身体の点では、ヨーロッパ人の多くのものより優れていることがわかる。かれらはあらゆる肉体の試練に耐えうるほどの、強い健康をもっているようだ。生まれつき弱い子供は早く死んで、強いものだけが残ったということも、このことに大きく影響しているであろう。』

悪名高いジプシー


ジプシーは暮らしをたてるために、駅や盛り場などで、あつかましい物乞いやねだりをして、
一般人や観光客に目に入りやすく、西ヨーロッパなどではひんしゅくを買う人々になっています。

それゆえに、とりわけ西ヨーロッパ諸国では差別と迫害の対象となっている事実があります。

【AFPBB News 2010年10月10日】仏政府、ロマ人送還問題で是正を約束

ジプシーの音楽


ジプシーにとって音楽は、しばし踊りとからみあって、彼らの生活の一部をなしています。
というより、彼らの生活そのものであると言ってよいでしょう。
彼らはもともと音楽好きで、音楽が得意なのです。

ジプシーの音楽を聞いていると、自分の不幸と不満とが消え去り、他人への憎しみを溶かすと
人はいいます。彼らの音楽が聴く人の心を打つのは、彼らの生活感情そのものが、そのまま
彼らの音楽になっているという説があります。

ジプシーは昔はほとんど学校教育をうけなかったから、音楽の勉強もとくにしたわけではなく、
楽譜が読めるわけでもない。それなのに音楽がよく出来たそうです。
彼らの血がそうさせるのでしょうか。

ロマ音楽はヨーロッパ全土に大きな影響を与えました。
特にハンガリーではその影響は顕著で、19世紀のハンガリー生まれの音楽家フランツ・リスト
は、ジプシー音楽を基調として、「ハンガリー狂詩曲」を作曲したそうです。
この有名な曲がジプシー由来とは驚きでした。
私達も知らずのうちに、ロマ音楽を聴いていたのですね。

コルドバ(スペイン)
そして彼らは音楽と共に踊りにも長けていました。
彼らの情熱的な踊りとスペイン芸能の融合が
フラメンコです。

フラメンコは、スペイン南部のアンダルシア地方の
ジプシー芸能を土台として、これに土地のスペイン人の
芸能がまじり合って、19世紀半ばに生まれたもの
だそうです。
ジプシーの歌と踊りが基本にあります。


ロマ(ジプシー)の起源


さて、世界中を流浪し、
各国の文化に影響を与えてきたジプシーですが、
彼らの故郷は何処なのでしょうか?
彼らはどこからやってきたのでしょうか?

主な国でジプシーがいないのは、日本と中国ぐらいだと言われています。
現在ジプシー人口が多いのはヨーロッパ、とくに南東ヨーロッパ諸国だそうです。

彼らがヨーロッパ各地に姿をあらわすのは、だいたい14世紀から15世紀にかけての
ことであることが当時の文献からわかっています。

それ以前は何処にいたのか?

大体18世紀頃までは、
ヨーロッパではジプシーがエジプトから来たという説が信じられていました。
エジプシャン、ジプシーの呼名の由来はここからきたようです。

その他にはユダヤ人であるという説や、
東洋人(西洋人の言う東洋という概念は広すぎて曖昧)だという説等がありました。

現在の通説は、インドから来たという説になっています。
これは言語の研究を通して成立した学説です。
ジプシーの話し言葉は、インド人の言葉とかなり一致しているそうです。

ジプシーはインド西部のラジャスタン地方から西に向かって移動したとされています。

なぜ、そしていつインドを出たのか?


ジプシーがインドを出たのは、いつ頃だったのでしょうか?
6世紀頃~16世紀頃まで各種の説がありますが、
この時代に起きたイスラム教徒の侵入による混乱と迫害を避けて
インドを捨てたのではないかと言われています。

しかし、原因は幾つもあると思われていて、ジプシーの起源は一様ではなく
長期間にわたり複数の集団が何度もインドを出発したとも考えられています。

悲しみの歴史


15世紀初めにジプシーがヨーロッパに出現して以来、迫害されていく彼らですが、
まっ先に弾圧を始めたのは、ドイツでした。

15世紀末、ドイツ地方を支配下に収めていた神聖ローマ帝国の国家議会は、
ジプシーを「キリスト教国家に対する裏切り者」として、追放することを決議しました。

ドイツでの弾圧から半世紀後、こんどはフランス政府がジプシーを「火と剣」とで
絶滅させる苛酷な法律を制定しました。

このような弾圧政策が、中部及び西部ヨーロッパ諸国で、その後長い間続いたのです。

ナチズムの犠牲


1935年9月15日、ナチス政権下のドイツである法律が公布されました。
「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」、通称ニュルンベルク法です。

この後に起きたアウシュヴィッツ強制収容所などにおけるユダヤ人虐殺の事実は、
日本でも一般的によく知られています。
しかし、虐殺の的になったのが、ユダヤ人と共にジプシーであったことは、
ほとんど知られていません。

第二次世界大戦前、全ヨーロッパのジプシー人口は、およそ100万~150万と
推定されていますが、その3分の1から2分の1に近い約40万が意識的、計画的に
殺されたといわれています。しかもそのほとんどが非戦闘員でした。

このことはジプシーがユダヤ人と違い、社会的そして政治的発言力をもたないこと、
それとジプシー以外の人々が積極的にこの問題を取り上げないことから、
表面に出てきにくいのです。

「黒いサラ」の巡礼


ヨーロッパ各地で常に差別と迫害にさらされてきたジプシーですが、
そんな彼らの心の拠り所となる巡礼地がフランスにあります。

南仏のサント・マリー・ド・ラ・メールです。

サント・マリー・ド・ラ・メール
5月と10月に、各国からおびただしい数のジプシーの列隊がここを目指して進みます。

伝えによると、ナザレのイエスが磔刑に処せられた後、マグダラのマリア、マリア・サロメ、
マリア・ヤコベが、他の人たちと一緒にエルサレムから小舟で逃れて
この地へと流れ着きました。マグダラのマリアと他の人たちは、南仏プロバンス地方の
内陸部で伝道を始めました。マリア・ヤコベとマリア・サロメはここに残って伝道をしました。
ここで二人は亡くなり、二人が建てた礼拝堂に葬られました。

その後、1448年にプロバンスのルネ王が、二人の聖女の遺骨を掘り出します。
そのとき二人の遺骨の他に、もう一人の遺骨が見つかりました。
それはサラというエジプト出身の忠実な召使であった女性のものでした。
二人の聖女の遺骨が祀られてから、ここは聖地となったといいます。

ジプシーたちが大勢でこの聖地に集まるようになったのは、
19世紀になってからだそうです。
彼らがここで拝むのは、二人の聖女ではなく、
色の黒い侍女サラであるのは興味深いですね。

サラは聖女ではないため、その立像も遺品も教会堂の地下室におかれています。

黒いサラ
黒いサラは、サラ・カリと呼ばれていますが、
カリ(kali)とはヒンディー語で黒色の意味です。

カリというと、
ヒンズー教のカーリーという女神が思い浮かびますね。
カーリーはインド全土で信仰されています。
カーリーとは「黒き者」という意味で、全身黒色の女神です。

恐らくインド出身のジプシーたちは、この黒いサラに
女神カーリーを見たのではないでしょうか。

女神カーリー












さて、ここまで粗い紹介でしたが、
ジプシーたちへの理解が少しでも深まっていくように願います。

他の国や他の民族のことをよく理解するためには、
できるだけ先入観の無いオープンな心でいることが大切だと思います。

相手を理解しようとする思いやり、慈愛の心が、
お互いの心の結び目を解いていくことになるのだと思います。


 参考文献: 「ジプシー 漂泊の魂」 相沢 久