2013年7月26日金曜日

ヨーガとタイマッサージ、そして仏教 【後編】




前編では、ヨーガとタイマッサージの共通点をご紹介しました。
後編では、タイマッサージに見る仏教の影響をご紹介していきます。

タイマッサージと仏教


タイ人の約95%が仏教徒といわれています。
そのため、タイの文化や生活様式、さらにはタイ人の気質にまで大きく影響を与えています。
それは、タイ国が使用する歴を見ても良く解ります。
タイでは、イエス・キリストが生まれたとされる年の翌年を元年とする西暦ではなく、
お釈迦様が入滅したとされる年を元年とする仏暦を採用しています。
ちなみに、西暦2013年は仏暦2556年となります。


仏教といっても、日本の仏教を想像してタイを訪れると、驚きが待っているはずです。
日本の仏教は、自分だけでなく大衆をも救うことを目的とした大乗仏教といわれるもので、
大衆と共に生活をしながら、彼らを苦しみから救うために尽力します。ですので、
日本のお坊様達は、肉も食べればお酒も飲むし、妻帯も許されています。
しかしタイの仏教は、自己を救済する者は、自己以外には無いという立場から、
自己の煩悩を断ち、自らが解脱を得ることを目的とした上座部仏教といわれるものです。
彼らの戒律は厳しく、酒タバコは厳禁で、もちろん妻帯は許されません。
そして毎日托鉢で日々の食料を得て暮らしています。基本的に肉は食べませんが
托鉢やお布施で頂いたものに肉が含まれていた場合は有難く食します。


私はタイに訪れる際には、朝にお寺にお邪魔させてもらうことが多いのですが、
よくタイ人の僧侶に日本のお坊様のことを聞かれます。
「日本の僧侶は妻帯もありなのか?酒も飲んで良いって本当か?」等々。
私が、「その通りです」と答えると、
「なんだそれ!なんでもありだなぁ(笑)!」と本当に驚いていました。
逆にタイの僧侶は、女性に触れることも禁止されていますので、
よく日本人の女性観光客が、写真を一緒に撮って欲しいと言って腕を組んだりして
くっついてくるので困ると苦笑いしていました。
観光と言えど、相手の国の文化を学んでおくことは大切ですね。

さて、話をもどしましょう。
タイの仏教を大雑把に理解していただいたところで、
今度は、タイマッサージを行うときに非常に重要だとされる仏教の概念があります。
それが、慈悲喜捨の心です。
 ※詳しくは、2013年6月22日 ヨーガと仏教 ~慈悲喜捨の心~ を参照願います。
この慈悲喜捨の概念は、ヨーガの経典である「ヨーガ・スートラ」にも出てきます。
ヨーガとタイマッサージ、そして仏教が繋がってきますね。
そして、この慈悲喜捨の心を養うために奨励されているのが、瞑想です。
上座部仏教の瞑想法は、ヴィパッサナー瞑想と呼ばれるもので、
ヴィパッサナーとは「物事をあるがままに見る」という意味です。
ゴータマ・ブッダ(お釈迦様)は、このヴィパッサナー瞑想によって悟りを得たとされ、
タイ・ラオス・ミャンマー・スリランカ等の上座部仏教圏で広く実践されています。

タイにあるマッサージ学校では、毎朝練習の前にヴィパッサナー瞑想を行うという
ところもめずらしくありません。マッサージは人の身体に触れる技で、相手の影響を
受けやすいものです。自分がクリアな状態であれば、相手がどんな影響を及ぼそうとも
硝子のように通過して影響を受けず、逆に相手に自分のクリアな状態を与えるような
セラピストの心、それがヴィパッサナー瞑想によって育まれるものなのかもしれません。

タイでは、一般の人々が日曜になると白い服を着て
お寺に瞑想に行くという光景を度々見かけます。
タイでは仏教の浸透と共に、ヴィパッサナー瞑想も浸透しているようです。


私が尊敬するタイ伝統医学の先生は、慈悲喜捨の心を持つお手本のような人物です。
この先生は治療マッサージも行うのですが、とても評判が良く、先生について勉強したいという
人も沢山います。ですが、先生は利益を得ることは頭に無いようで、本当に質素な生活で
満足されています。そしてお酒も飲まず、もちろんタバコも吸いません。
ある日、先生のマッサージを受けようと思い予約を入れました。実際その時は
身体に何か異常があるわけではなかったのですが、帰国前に一度身体を
メンテナンスしてもらおうと考えていました。そして、指定の時間に先生の家にお邪魔すると、
早速先生は施術の前に私の身体を軽く触りながら状態を見ていきました。
2,3分してから先生が、「君はどこも悪くないので、私は何もできないよ。」と一言。
そう、先生は治療でマッサージを行なっているので、異常がない人は軽く状態を見た後に
帰ってもらっているのです。もちろんその際お金は取りません。私もその日は、
先生が作ったハーブティーを頂いた後、しばらく世間話をしてから宿に帰りました。

どこも悪くないのに、恐怖心を煽って適当な施術で高いお金を取る人や、お金をかけた立派な
宣伝で人を集め中身の無いものを平然と提供する人が繁茂するこの世の中で、
このタイ伝統医学の先生のような人格者は、本当に尊ばれるべき存在なのだと思います。



さて、前編後編に分けてヨーガとタイマッサージ、そして仏教をご紹介してきました。
仏教はタイに深く浸透していて、タイマッサージとも深く結び付いています。
そして、その仏教はインドを発祥の地とし、ヨーガの影響も見受けられます。
源流を辿れば、すべてインドに行き着くようにも思えてきますね。
それは、道徳的に正しいことを説くものであったからこそ、広くアジア全域に
仏教として多くの人々に受け入れられたのでしょう。

最後に、 ヴィパッサナー瞑想は、タイのお寺で広く実践されています。
その中で、外国人向けの瞑想コースが用意されているお寺もあります。
タイに訪問予定で少しお時間がある方がいたら、試されてみてはいかがでしょうか。

 ※タイ、チェンマイにあるドイ・ステープ寺のH.P.リンクを載せておきます。
   外国人向けの瞑想コースが用意されています。
   http://www.fivethousandyears.org/

2013年7月21日日曜日

ヨーガとタイマッサージ、そして仏教 【前編】



先日、また鎌倉にある建長寺さんの坐禅会に参加させてもらいました。
ところで、最近鎌倉に行くと、お寺でタイ人の観光客を度々見かけるようになりました。
おそらく7月1日から開始された、タイ国民が日本入国する際の査証免除(観光目的の15日間滞在)措置が効いているのだと思います。タイに友人のいる私としてはとてもありがたい措置です。
タイは、国民の90%以上が仏教徒ですので、日本独特の仏教文化は興味深いものでしょう。
そういった意味で、鎌倉へのタイ人観光客増加も納得がいきますね。

ヨーガとタイマッサージ、そして仏教。


以前に、ヨーガと仏教の共通点についてご紹介しました。今回は、ヨーガとタイマッサージの
共通点、そしてタイマッサージに見る仏教の影響をご紹介したいと思います。

ヨーガとタイマッサージに見る、生理学の概念。


ヨーガとタイマッサージは、その生理学の概念に共通点が多く、
ほぼ同じと言っても良いかもしれません。

ハタ・ヨーガでは、人間の身体を次の3つの概念に別けて考えています。
  1. 実際に目に見え触れることのできる肉体。粗大身(ストゥーラ・シャリーラ)
  2. 目には見えず、意識と生命エネルギーでできていて、
    肉体が滅びても朽ち果てることは無い。微細身(スークシュマ・シャリーラ)
  3. 自己と非自己を見分け、個人が個人として存在しうる原因であり、
    粗大身と微細身の存在を可能ならしめている。原因身(リンガ・シャリーラ)
この2つ目の微細身に存在するのが、生命エネルギー「プラーナ」の通り道である
脈管「ナーディ」であり、タイマッサージでは「セン」と呼びます。

ハタ・ヨーガの経典の1つである「ゴーラクシャ・シャタカ」では、
微細身には7万2千本のナーディがあると書かれています。
タイマッサージでも全く同数の7万2千本のセンがあると言われています。
さらに、「ゴーラクシャ・シャタカ」では、そのうち10のナーディが重要とされています。
タイマッサージでも同様に主要な10センが重要とされます。

10のナーディは、全て臍下にあるカンダと呼ばれる部分から発生していて、
日本でいう臍下丹田がこれに当たります。
このカンダを起点として、身体の穴(目、鼻、耳等)が終点となります。
タイマッサージでは両手・両足に伸びる脈管も加えられています。
上の表は、ハタ・ヨーガとタイマッサージの10本の主要脈管を示したものです。
上から3つまでは、ほぼ同じですね。
そして、その下からは名称はにているけれど、部位が違ったりしています。
ハタ・ヨーガの文献では、10のナーディを重要とするものの他に14を重視するものもあります。
おそらく、インドの文献が何らかのかたちでタイに伝えられた時に、
足したり引かれたりしながらタイの文化や環境にフィットするように最適化されて
現在の10センに落ち着いたのだと思われます。
タイでの10センの概念は、マッサージに限らずタイの伝統医学全般で利用されているものです。

タイ伝統医学の祖は、シワカ・コマラパ師とされていますが
彼は約2500年前、ゴータマ・ブッダの時代にインドに生まれたと文献にあります。
そして後にゴータマ・ブッダの主治医となった方です。
ですので、このヨーガとタイマッサージに共通する生理学の概念は、必然であると言えますね。


さて後編では、タイマッサージに見る仏教の影響をご紹介します。

2013年7月6日土曜日

脳が創り出す実体験。 ~2冊の本を読んで~



今週、2冊の本を並行して読みました。
1冊目は、木村秋則氏の「すべては宇宙の采配」と、
2冊目は、V・S・ラマチャンドラン氏の「脳のなかの幽霊」。  

木村氏は、不可能と言われた無農薬、無肥料でのりんご栽培を実現した方で、
その実現に至るまでの体験を綴ったのがこの本「すべては宇宙の采配」になります。

V・S・ラマチャンドラン氏は、カリフォルニア大学サンディエゴ校の
脳認知センター教授、所長、同大学心理学部神経科学科教授。
視覚や幻肢の研究で知られ、興味深い症例を紹介しながら
脳科学の可能性に迫っていくのがこの本「脳のなかの幽霊」です。

木村氏の本では、彼のりんご栽培成功までの凄まじい体験と共に、
UFOや超常現象の体験にもかなりのページを割いています。
「すべては宇宙の采配」のなかで、彼の主観で語られる体験は、
真実であることに疑いはありません。しかし、「脳のなかの幽霊」を読むと、
脳がどのように超常的な体験を創り出すかが見えてきます。

ラマチャンドラン氏は、幻肢という事故などで失った、
実際には存在しない手足の感覚や痛みに悩まされる症状や、
脳に出来た動脈瘤によって本物よりも本物らしい幻覚を
毎日見るようになった患者、そして、宗教的な恍惚状態や、
神が直接語りかけてきたと主張する側頭葉てんかん患者の症例から、
科学と哲学の最大の難関である、自己の本質に近づいて
いくことができるのではないかと指摘しています。

面白いのが次の文で、
「視覚は単に脳内のスクリーンに像を送っているのではなく、
眼球のなかでゆらめく断片的なはかない像をもとにして、経験から
わりだした推測をするという、驚異的な能力をもっている。
その具体的なあらわれの1つに、
視覚像のなかにある不可解なギャップに対処する、驚異的な能力がある。
たとえば柵の向こうにいるウサギは、ウサギの断片の連続ではなく、
柵の縦杭の後ろにいる1羽のウサギに見える。
つまり、心がウサギの欠けている部分を補ったのである。」

この様に、視覚とは、単に見たものを映しているだけではなく、
脳がかなりのイメージを創りだしているようなのです。

そう考えると、UFOや超常現象体験なども脳が創りだしたイメージに他ならないと
言えなくもないでしょう。

ただ、現代科学で説明できないことはもちろん存在するでしょう。
しかし、私達は科学の全てを知っているでしょうか?
最先端の脳科学等はかなり進んでいるようですし、少し前に説明できなかったことが
今は当然のことになっているかもしれません。

最後に、木村秋則氏の「すべては宇宙の采配」でUFOの体験等が語られていますが、
この本で重要なことは、その体験が本物か幻覚かではありません。
極端な話、体験の真偽はどちらでもよいのです。この本で本当に大切なことは、
木村秋則氏が信念を持って自然の声に耳を傾けて突き進んできた体験を通して
語っている、物事の本質を理解するということなのではないかと思います。

木村秋則氏は本書のなかで、こう言っています。

『思いや、気持ちの持ちようで、
 いくらでも物事を変化させられる。』

2013年7月3日水曜日

格安オリジナル名刺


格安のオリジナル名刺印刷サービスを見つけました。

 『 前川企画印刷 』

白黒で100枚、1000円!
カラーでも100枚、1300円!
本当に安くてありがたいですね。

私も早速注文してみようと思います。