2012年11月18日日曜日

イスラエル・パレスチナ問題。

イスラエルが、またガザ地区への大規模攻撃を始めた。

ユダヤ人はナチスドイツ時代激しい迫害にあい、虐殺された過去があるにもかかわらず、
ヨルダン川西岸地区やガザ地区を壁で隔離し、パレスチナ人達を迫害し、虐殺している。

しかし、イスラエルにいる全てのユダヤ人が酷い事をしているわけではない。

2008年12月、私がイスラエルを訪れた時にエルサレムでユダヤ人家族の家に泊めてもらったことがある。
3人家族で、父親は医師、母親は大学のアラビア語教授、娘は医学生だった。
母親はアラビア語教授であるためアラブの文化に興味があり、私がシリアに行ってきたと言うと、
事細かにシリアの状況や人々はどんなか?ウマイヤドモスクは美しかったか?等と熱心に尋ねてきた。
彼らはシリアや入植地以外のヨルダン川西岸地区には行けないため状況が気になるようだった。
娘さんはテルアビブでの自爆テロを間近で目撃したこともあり、
「私達が向こう側へ行ったら何をされるかわからない」と、
パレスチナ自治区への言い知れぬ恐怖を感じているように見えた。

家族は私がユダヤ教のハヌカという御祭りの初日に訪れたにもかかわらず、
優しく祭りの儀式や意味を教えてくれた。
そして、スフガニヤートというお祭りの時期にだけ食べるジャム入りドーナツを美味しく戴いたことを憶えている。
そしてとても安心した気分になった。

というのも、この優しい家族にお世話になる前に、私はヘブロンというヨルダン川西岸地区の都市で、
ユダヤ人とパレスチナ人の激しい対立の状況を目の当りにしたからだった。

ヘブロンとは、ヨルダン川西岸地区にありユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地であり、
三教の祖イブラーヒームの墓がある。今そこにはシナゴーグとモスクが建っている。
詳しい歴史はWikipediaのヘブロンでチェックされたし。

まず驚いたのは、町の入口近くから続いている細長い通りの市場で、
ふと上を見上げると金網が張ってある。
これはなんだろうと近くの店で聞いてみると、市場の右側は入植地があり上からユダヤ人が
ブロックを落とすからその防止用なのだと言う。
もう一度上を見上げると、確かにレンガやブロックがいくつか金網に引っかかっている。
建物の屋上には銃を持った兵士が巡回していた。

さらに進むと、ほとんどシャッターが閉まった市場にでた。
閉まったシャッター全てにダビデの星がスプレーで落書きされている。
「ここはユダヤの土地だ」と主張しているのだろう。
その周りで小学生ぐらいの子供達がサッカーをしながら遊んでいたが、
そこにイスラエルの兵士が巡回に来るとクモの子を散らすように逃げていった。
巡回の兵士達はフル装備の戦闘隊形でいつでも撃てる状態であり、
それだけ緊迫した状況の場所なのだ。

さらに進み、イブラーヒームの墓があるマクペラの洞窟に建つモスクの前まで来た。
モスクに入る前に検問がある。検問所前で初老のパレスチナ人男性が必死に何かを
イスラエル兵士に訴えているが、若い女性と男性の兵士はヘラヘラと笑っているだけだ。
検問で待たされている間にそれを見ていたら、とても嫌な気分になった。

モスクを見学させてもらった後、さらに先に進み、広い丘の上に入植地が見える場所に出た。
丘の上の入植地の前には高いバリケードが何重にも張られ、その奥に豪華な家々が並んでいる。
バリケードの手前のパレスチナ人の区域では、レンガで出来た古びた建物がポツンポツンと建っている。

ふと遠くにパレスチナ人の子供達が見える。小中学生ぐらいだろうか。
そう思っていると、目の前に石がコロコロと落ちてきた。
なんだろうと思ったら子供達が投げた石だった。子供達はだんだんと大きな石を投げてくる。
最後には頭の半分ぐらいあるブロックの破片が目の前にドスンと落ちてきた。
一緒にいた友人が近くにたまたまいた中年のパレスチナ人に、
私達は旅行者でユダヤ人では無いと訴えて、彼から子供達に説明してもらってようやくおさまった。
あんなに小さな子供の頃から憎しみを感じながら生活していることに哀れみを感じた。

そして、ヘブロンで10代のパレスチナ人の少年がイスラエル兵士に投石をした直後に射殺されたのは、
私がヘブロンを出た次の日だった。


そんなヘブロンの状況を見た後に、エルサレムでのユダヤ人家族のもてなしがあった。
だから、憎しみだけではない一般の人々の生活を感じてとても安心した気持ちになったのだ。

その後、2008年末から現在行われているようにイスラエル軍によるガザ空爆があり、
ヘブロンやエルサレムでパレスチナ人による暴動が始まった。
危険を感じた私はエジプトへ移動した。
年が明けた2009年1月3日からイスラエル軍がガザに地上侵攻を開始し、
最終的な死者はイスラエル側で13人、パレスチナ側で1300人に上った。


イスラエルの状況は複雑であり、宗教間の対立であると簡単に片付けられる問題ではない。

今のガザや西岸地区の状況はイスラエルに非があるかも知れないが、
この地域にはユダヤ人とパレスチナ人がお互いに攻撃し合ってきた長い憎しみの歴史がある。
御互いが被害者であり、加害者であるのだ。


感じたのは、ユダヤ人とパレスチナ人の交流が極端に少なく、
御互いがネガティブな情報から憎しみの連鎖が続いているようだった。

私はただ双方の人々の心が平安になることを願うばかりである。



※ イスラエル・パレスチナ問題を考える上で参考になる映画を紹介しておきます。

JENIN JENIN
   2002年に起きた「ジェニンの虐殺」を実写、目撃証言などで構成されたドキュメンタリー。

The Heart of Jenin
   イスラエル軍に射殺されたパレスチナ人少年の父親が、
   イスラエルの子供たちへの臓器提供を決意するヒューマン・ドキュメンタリー。

Paradise Now
   自爆テロに向かう二人のパレスチナ人青年を中心に
   パレスチナ人からみたパレスチナ問題を描く。

Waltz with Bashir
   レバノン内戦に関する記憶を探るフォルマン監督自身を描いた
   イスラエルの長編アニメーション。

2012年10月24日水曜日

タイの菜食週間、キンジェー最終日に考えた。

昨日10月23日は、タイで15日から始まった菜食週間(キンジェー)の最終日。

太陰暦の9月1日から9日間に渡って毎年行われるタイの「菜食週間(キンジェー)」。
古くは中国の風習だったが、今ではすっかりとタイの風物詩だ。

身体の中に蓄積された「毒素」のデトックスが目的の菜食療法で、
この期間は多くの飲食店で、肉、魚、卵、牛乳、ニンニクなどの
香味野菜といった食材の提供が控えられる。アルコールも同様だ。

菜食を続ける理由は人によって様々だが、身体の調子を整えること以外に
地球環境に配慮しているからという人もいるだろう。

1kgの食肉を得るために必要な穀物飼料の量をご存知だろうか。

農林水産省の試算によると、

     牛肉 11kg
     豚肉 7kg
     鶏肉 4kg
     鶏卵 3kg

つまり、単純にこの分の穀物を人が食べれば
より多くの人々に食料がいきわたることになる。

今年2012年8月27日から31日にかけてストックホルムで開催された
World Water Week (世界水週間会議)で発表されたリポートでは、
「2050年に今より20億人も多くの人々が西洋風の食生活をできるだけの資源は無いだろう。」
つまり菜食にならざるをえなくなると報告している。

また、食肉の生産には大量の水を必要とする。
上記リンクの内容から引用すると、
”1kgの牛肉を精肉店の陳列台の上で目にするのに、
それまでの工程で約16,000ℓの水が使われている。”

今、世界の食糧事情が危機的状況にあるからか、年々タイの菜食人口は増加しているらしい。
 NNA【タイ】 『菜食週間の経済効果、過去5年で最大』

今この時代にこの状況だからこそ、キンジェーのような菜食週間の行事が
自らの食生活を見直す良いきっかけになるかもしれない。

2012年10月23日火曜日

食の安全、豊かさとは何か?


2012年9月1日より、
渋谷アップリンクにて『モンサントの不自然な食べもの』が上映中です。

モンサント社はアメリカに本社をもつ多国籍バイオ企業で、
2008年には世界で最も影響力のある10社に選ばれています。

遺伝子組換え作物に力を入れており、
その販売手法等が農家や一般市民らに問題視されています。

食の安全は、持続可能な生活を目指す上で重要な問題の一つだと思います。
この機会に、映画を観ながら食についてじっくり考えるのも良いかもしれません。

モンサント社について、もっと知りたい方は
Democracy Now! が提供する記事と映像、
を御覧ください。